活動理念と自由力進化の物語

人生はカンニングし放題ためし放題。
死ぬ直前、病室の天井を見上げながら
「あー幸せだったか置いといてまあやりきったわ」
そう思って死にたい。
そんな人生を創りたい。
 
15で鬱状態に陥り
「自分にも人生にも可能性なんてない」
と思い込むことになって人生にっちもさっちもいかなくなり、
やむなく「五つの自由力」、中でも「実現力」を進化しながら
 
文転して半年の受験勉強で東大に合格、インターネットビジネスを始めて初月から十万越えの収益、半年で一日に50万の収益、稼ぎながら海外を長期で周遊などなど
 
それなりの経験もしつつも案の定の自由のくだらなさにうんざりしながら15のときから相変わらず
「人生のベストとは結局なんなのか?」
「そしてそれを実現するにはどうしたらいいのか?」
ということに結局悩みながら人生をおもろくしていっている僕だからこそ
 
五つの自由力
 
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験などから自分の特徴を洗い出しそれを元に「幸福な生き方」について考える技術
内面的自由力
→感情や思考を自分の望む方向により方向づけて自分の望む人生を創っていく技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など望んだことに向けて望んだ行動をできる確率を上げていく技術
情報的自由力
→情報のインプットを望む人生の実現の武器にする技術または希少価値(≒付加価値)の高いアウトプットをするフィルター力
経済的自由力
→自分の個性スキル希少価値をビジネスに落とし込みマネタイズして何にも頼らずに食っていく技術
 
の進化を自分の発信によって届けることで
誰かの一度きりの人生を死ぬ前に後悔のないものに近づけられるし
僕自身の人生もそんなものに近づいていく。
 
「何についても自信がなくてできる気がしない‥」
「人生退屈すぎてもはや死にたい‥」
「なんか違う気がする」
「自由に枠から出て生きたい」
「この生き方違う気がする」
「もっとなんかできる気がする」
 
僕が過去抱えてきた、
そして今も抱えている違和感を同じように持つ人に
 
僕らの自由力は常に鬼進化する余地しかない。
中でも僕らの実現の技術=実現力は鬼進化する余地しかない。
からには僕らの人生が鬼よくなる余地しかない。
という形の人生のおもろさに胸を躍らせてもらいたい。
 
僕らが雑魚であればあるほど
人生が退屈であればあるほど
僕らも人生も鬼よくなる余地しかない。
失敗するとはつまり
より失うものが少なくなることにすぎない。
 
「カンニングし放題の人生とか
試し放題の人生とか
可能性しかないやん。」
 
そんな風に思い至ってもらえたらと思いつつこの記事を書きました。
行動的自由力、内面的自由力、情報的自由力を総合した実現力については十冊に分けて無料で本も出しています。
 
確実に鬼進化は保証できるのでよければどうぞ。
 
 メルマガに対しても本に対しても色々と嬉しい言葉もいただいてきました。

 
「私は破滅に向かっているように
思えて仕方なかったんですが、
可能性が開かれていくことは
限りなく光に近いという感覚が、

kimamanさんの文章を読むと

遠赤外線のように、
私の内側からわいてきたんです。」
 
「kimamanさんのメルマガには7月くらいに登録し、ずっと文章を追ってきました。
僕はその頃、大学院1年で就活のためのインターン説明会に行くも、どうしても会社で働くのは無理だと諦め、独立しようと心に決めた頃です。
最初はメルマガも半信半疑に読んでいましたが、真摯な内容ばかりでしたし、そもそも文章が読んでいて面白いのでそれだけで得した気分でした。
しかし読み込んでいく内に、自分と価値観も近く、より高い次元に引き込まれていく感覚を受けました。その感覚を勇気に変え、大学を休学し、フリーランスとして独立する傍ら、「自分が本当にやりたいこと、人生を賭してでも成し遂げたいこと」を考え続け、とうとう突き止めることができました。
そして今はそのやりたいことをビジネスモデルに落とし込み、それが何人かのVCに評価され、実際に出資を受けることもでき、スタートアップとして動き出しています。」
 

僕が発信することで誰かの人生をまるごと死ぬ前に後悔のないようなものに近づけられたのだろうか、

そんな風に思えることが僕の仕事に対して感じる誇りであり一つの大きな生きがいですし、

この仕事を続けていける理由です。

順風満帆で舐め腐ってた時代

 
 
「人生とかうまく行く以外あんの?」
「できないこととかあんの?」
15になるまで正直、僕はそう思ってました。
15までは苦労した記憶が全くないです。
 
この上ない家庭環境、天真爛漫、適当に勉強して地元一の進学校に、当時スクールカースト最上位の体育会系の部活の幹部として普通に青春して、友達もいて、彼女もいて、適当に勉強して成績もトップクラス。
 
まあ自分で言うのも鬼ださい話ですが人生イージー人間でした。
が、15になってすべてが変り果てることになります。
 

15歳、自信と実質的に能力をすべて失った時代

 
結論からいうと
15のときにうつ状態を経験しました。
 
原因は色々ありました。部活動での挫折、友達に嫌われる、彼女に振られる、声が潰れて戻らない、などなど。
 
順風満帆だった人生は一変。
自信と希望のほとんどすべてを失いました。
 
「自分がしたいようにできない」
「自分が望んだように動けない」
 
そういうことを毎日思い知らされる一年間でした。
僕は今も昔もかなり頭でっかちな人間なので死ぬほど色々考えましたが、
全くもって何もできるようにならなかった。
 
あんまそのときのことは話したくないですが
三日に一回は寝る前に泣いてたし、
今も2週間に一回はその頃のことが夢に出てきます。
 
すごく覚えてるのは、
年の終わり昼休みに野球で三塁手やってて、
バントされたゆるゆるのボールが僕のところに転がってきて
まあ普通にとればいいものをその一年にしてきた自分の失敗がフラッシュバックしまくって
球威ほぼ無のボールをスルーしかけ慌てて取ろうとしてエラーした、っていう思い出。
自分はそんなことすらできないんだと。客観的にみれば些細なことかもしれないですが。
午後は自分への失望でずっとつっぷしてましたね。
 
それまでの万能感とか根拠のない自信をぶっ潰されて、
毎日根拠のない不信に苛まれて
実際のとこ能力とかあってもなくても発揮のしようがない。
そういう状態でした。
 
結局自信がなければ能力なんてあってもなくても使えません。
当時の僕はなすすべなく
何もできない毎日に耐えるしかありませんでした。
 
今思うと
「人生はロジックと知識で変えられる」
というひどい勘違いをしていたので当然なんですが、
 
「人生でなしとげられることなんて何もない」
「自分はほんとにゴミクズでしかない。」
毎日そんな思いに打ちひしがれてましたね。
 
望んだように動きたくて本を読み漁る
 
中学三年間も終わって
自分のふがいなさを毎日のように思い知る部活からも解放された当時の僕がしたこと。
 
それは成功哲学書なり自己啓発書なり心理学書なりを読み倒すこと。
 
なんとしても
自分が望んだように動けるようになりたかった。
自分を誇れるようになりたかった。
 
でも本を読み倒しても
まじで何も変わりませんでした。
 
今までと同じく毎日
「自分てなんでこんなできないんだろう」
「人生はなんでこんなに厳しいんだろう」
そんな後ろ向きな考えに苛まれて、
結果何も続けられない日々が続くだけでした。
 
まあ先ほども言ったように
知識「だけ」で人生を変えようとしていたのがそもそもの間違いだったんですが、
そんな調子で特に変われない日々が続きました。
 

18歳、暗い音楽を音楽プレイヤーから削除する

 

 
高校三年間は特に何も続かない
器用貧乏にすらなれない不器用貧乏ともいうべきものでした。
 
始めた音楽もやめる。それではじめたバドもやめる。舞い戻った音楽も適当。
中学三年間一つのことに打ち込んでいたのは単にそれを余儀なくされていたからであって、
別に自分の力でもなんでもなかったことを知りました。
 
で無事当時の僕は何も決めた通り成し遂げられぬまま三年生になり、
そろそろ受験だなとなるわけです。
 
試験の一週間前以外家庭学習なんか一ミリもしてなかった僕も
「さすがに勉強するか」
という気分になって受験勉強を始めました
 
が、
一向に進まない。
 
もちろん原因は明らかで
うつ状態を経て色濃く持つに至った
「自分は結局何も遂げられないしまたうまくいかない」
という思い込みというかイメージにありました。
 
勉強しようとしても「どうせ無理」という思いが先行して
すぐにやめてしまうわけです。
焦った一旦勉強をおいておいて自己啓発書なりなんなりを読むことで解決しようとしました。
が、結局案の定役に立ちません。
 
さらに焦った当時の僕は勉強が続かないことに対して
「理系だから」
というわけのわからない理由付けをして
受験まであと半年というところで文系に移動するという決定をします。
社会二科目そっから独学するということです。
 
で、案の定、文系に移っても事態は変わらず、
勉強は全くもってはかどりませんでした。
授業中の内職だけが集中できる時間で、
強制されなければできない人間の典型。
言い換えれば不自由な人間の典型でした。
 
ある夏休みの一日、当時の僕は相変わらず
「どうせ勉強したって無理」
という思いで勉強をほったらかして
自分にうんざりしながら
鈍行に延々揺られてみる旅に出ました。
 
受験についてはほぼ諦めてました。
「このまま何も実現できない人生が続いていくんだろうな」
そう思いながら
そんな思いに同調してくれる憂鬱な曲を聴いて、
窓の外の景色を眺めていました。
 
そのとき、
当時の僕の人生を変える考えに思い至ります。
 
「そう思っているから
それに同調する音楽を聴くのも然りだけど
それに同調する音楽を聴くから
よりそう思うのもしかりだ。」
 
鬼当たり前の事実のように思えますが、
その頃の僕にとっては目から鱗でした。
 
つまりこれまでなぜ
死ぬほど考えても人生変わらなかったか
本を読み倒しても人生変わらなかったか
という謎がそのとき解けたんです。
 
それは
「悲観的な情報に頻繁に触れることで
悲観的な考えを強化し
その先で悲観的なイメージと思い込みを
より強固にしているから」
 
これしかないなと。
 
もう三年間も悲観的な音楽を聴いていなかったのもそうですが、
悲観的な思い込みに苛まれていたその頃の僕は
「人生は思い通り」
というような楽観的な言説に出会うたびに
「んなわけあるかぼけ」
という風に思ってそういう情報を避けて
人生は結局苦痛だとか不幸だとかそういう文章ばかり読んで
そういう言葉ばかり吐いてまた悲観性に触れるということをしていた節がありました。
 
ロジックこねまわして考えただけで
悲観的な思い込みは変わらない。
一日に一時間読書した程度で
悲観的な思い込みは変わらない。
 
もっと頻繁に楽観的な情報に触れなければ
自分の
「どうせ無理」という悲観や
「自分はどうしようもない」という自信のなさは変わらない。
 
そこで当時の僕がさらに思い至ったのは
「受験期で学校がない(高三の夏以降通学は義務ではありませんでした)
=基本一人
=自分がその時々触れる情報をより選べる(情報を選ぶ自由度が高い)」
そういう稀有なこの半年が
自分の悲観性を塗り替えるチャンスだということでした。
思考習慣が変わるには半年かかるとよく言われますが、
この半年で変わらなければ多分人生一生このままだという気さえしました。
 
かといって勉強があるので楽観的な文章を読み続けるわけにもいきません。映画を見続けるわけにも行きません。
 
そこで当時の僕はその日それまで聴いていた悲観的で自信なさげな音楽をすべて音楽プレイヤーから削除。
それまで集中力が落ちるからという理由で勉強中音楽は聴きませんでしたが、
逆にその日から楽観的で自信に満ちた音楽を移動中も勉強中も家に帰ってからも一日中ずっと聴くことにしました。
 

東大にひっかかる、からのまたしても糞詰まり

 
 
悲観的極まりなかった当時の僕は最初は楽観的な音楽だけ聴き続けることに抵抗がありましたが(ホメオスタシスってやつですね。)
すぐにそれにも慣れてだんだんと
「あれ、人生って明るくね?」
「自分ってできるくね?」
と思えるようになっていきました。
 
「いや音楽聴くだけでそんな変わるか?」
と思われるかもしれませんが、
ただ聴くんじゃなくて一日中浴びてたんです。
「できないことなんてなにもない」
「人生は明るい」
メロディーに乗ったそんな言葉を刷り込んで。
 
だんだん勉強もはかどり始めて、
そっから半年は死ぬほど勉強しました。
センター試験は社会が間に合わずとても東大を受けれる点数ではありませんでしたが、
自信のある音楽を一日中浴びてるせいか「へー」としか思わず、
結果半年の猛勉強のおかげ1割と運9割で合格点の三点上で東大にその年に滑り込みました。
 
でそっからまた順風満帆に。
といけばよかったのですが、
 
東大に入ってみて当時の僕が思ったのは
「なんなん、このレールにちゃっかりして乗っちゃった感じ」
という違和感。
まあなにがうまくいってもまたないものねだり、そんなものですよね。
 
こう、なんかこのままじゃ人生ヤバいぞ。という感覚。
 
周りの人たちはサークルなりバイトなり飲み会に勤しんで
大学生活を謳歌していたわけですが、
当時の僕は
「このままじゃヤバいぞ」
という感覚がいつも邪魔して
まあそれなりにしか楽しめませんでした。
 
でもだからといって
何かその違和感を打破するために何かできるわけでもない。
 
そんな感じで丸々2年が過ぎた頃、
キャンパス=場が変わるのもあって
このままじゃヤバいぞという感覚が、
「このままじゃ人生終わりや!!」
という風に爆発。
 
何かやろう何かやろうという感じでとりあえず始めたのが
インターネットビジネスでした。
 
当時いやだったものの一つに(後に話すように今は別にそういうフレームで捉えてません)
会社勤めというものがあります。
 
「このままはたから見たら典型的エリート、成功者だけど
結局やりたくないことを一つの場所で延々こなす人生だとしたら人生終わりや」
 
そう思っていた当時の僕は「PC一台で稼げる」という文言に魅力を感じて、
まんまとインターネットビジネスの世界に飛び込みました。
 

PC一台で自由に稼ぐ技術はごく簡単に身につきました

 
 
思ったよりはるかにはやく成果が出て、
初月から十万の収益、
半年で一日で大体五十万の収益を経験したりもしました。
 
思われるように大して稼いだわけじゃないのですが、
よく言われるDRMやらプロダクトローンチをそれなりに勉強してやってみた一応の成果でした。
 
集客も販売もある程度自動化して
ネット上で勝手にコンテンツが売れるから、
休学して稼ぎながら長期で海外周遊したりもしました。
 
金銭的自由と物理的自由。
どちらも得ている状況です。
羨ましがられもしました。
確かに何にも頼らずに飯を食う力はつきました。
 
でもきっとそうだろうと思っていた以上に
「鬼ほどつまらなかった」
というのが率直な感想ですね。
 
元々金銭的自由と物理的自由があれば
人生が楽しいと思っていたタイプの人間じゃないです。
 
 
「お金があるからなんなん?」
「自由だからなんなん?」
小さい頃からそんな感じで斜めから見ていたものの、
何にも頼らず食っていく力があるのとないのとでは
人生における選択肢の多さも大きくちがってくる。
そんな思いからビジネスも始めてみたという感じでした。
 
人が未来にワクワクできない根本原因は(恐れの方が勝ってしまうのは)
多くの場合何に頼らずに自分でお金をつくる力がないから。
逆にいえば食っていくために何かを余儀なくされがちだから。
お金なんてという人間ですがその考えは昔も今も変わりません。
だからこそメルマガコミュニティでもまずは
経済的自由力=PC一台一人でビジネスを起こして何にも頼らず一人で食っていく力
についての講座を共有しています。
 
多くのお金は必要ではなくとも
お金をもらうのではなく創る力は必要。そういうスタンスです。
 
そんな人間がさらに
金銭的自由と物理的自由のくだらなさを
思い知ったわけです。
 
どうなるかといえば
完全にビジネスに対するやる気を失いました。
 
「こういう商品つくってここに広告かけてこういうプロモーションしたらとりま収益1000万くらい行くやろ。でもめんどくせえ。」
「こういう商品つくってここ外注してこういう風に無料オファーしたらとりまここ数年不労所得月数十万は行くやろ。でもめんどくせえ。」
そんな感じで案が出てはおじゃんになりました。
 
案が出て実行するにはもちろんエネルギーがいります。
それがまじでない。
だるい。
そんな感じです。
 
まあそれこそが「やらない」ではなくて「できない」ってことだよ、と言われればそれはそうなのですが、
当時の僕はそんな感じの糞詰まり方をし、
友達に「最近ビジネスの方やってるん?」と聞かれても
「まあ適当にやってるよー」
と言いつつ「やれてねえなあ実際」と思う。
 
そんなくだらない日々を過ごしながらも
進められてたもの。
それが
 
「実現力という本の執筆」
 
考えてみれば
もちろんそれも一つの仕事です。
ビジネスとも言えなくもありません。
 
一方の仕事はまじでやる気でないのに、
一方の仕事は毎日嬉々として続けられる。
 
というか実現力という本の執筆に関しては
もちろん辛いときも時たまありましたが基本的に
「よっしゃやろう!」
という感じで書くことができてました。
 
一体その差はなんなのか。
 
それを考えるところから、
当時の僕にとっての人生の方向性が開けました。
 
「自分だからできる度合い」という指標
 
なんか適当に商品つくって適当に売り上げることと、
実現力という本を書くこと。
一体何が違うのか。
 
少し考えて思ったのは
「前者は別に自分じゃなくてもできるけど、
後者は多分自分じゃなきゃできない」
ということでした。
 
で次にひねり出したのが
自分じゃなきゃできない
=自分だからできる度合いが最高度に高い
=他の人に取って代わられる度合いが最高度に低い
 
で、もう少し考えて思いついたのは以下のサイクルです。
じぶんだからできる度合いが高い
→希少価値が高い
→付加価値が高い
→貢献効率(時給)がいい
→食うために長時間労働の必要なし
&人に取って代わられる度合いが低いからよりやりがいあり
→さらなる自分だからできる度合いの向上に磨きかかる
→自分だからできる度合いがさらに高い
 
違いは「自分だからできる度合い」にあった。
 
この仕事の「自分だからできる度合い」が高いと
より
「自分こそこれをやらなければいけない」
という役割意識なり使命感を持て、
結果として仕事が情熱が込められるものになる。
 
あらゆる形での
「自分だからできる度合いの高め方
他の人に取って代わられない度合いの低め方」
があります。
 
ノウハウやスキルはその最たるものですが、
そうではなくてたとえば
子供にとっての親、という人間関係の形をつくることで
親は「子供にとっての殆ど唯一の保護者」
という自分だからできる度合いが最上位に高い役割
=自分にしかできない仕事を獲得します。
 
「実現力」という本を書くことで僕は
人生の充実の鍵は
持っているあらゆる自由ではなく、
自分がやっていることの
自分だからできる度合い
=他の人に取って代わられない度合いにある。
 
そういう一見当たり前でもなかなか言語化できない捉え方を
発掘するにいたりました。
 

僕ら人間は結局どこまでも行けてしまうからこそ、

          どこに行くのがより問われる

 
 
別に失敗の方が多かったですし、
今現在の人生は多分ベストからかなり遠いですが(だからこそ飛躍的に面白くなるのを楽しめる余地があると思えれば悪くありません)
僕は実現力を進化させながらそれなりに色々実現してきたと思います。
 
別にそれでも僕の実現力はスズメの涙ほどのもので、
それゆえに鬼のような進化を楽しめる余地しかないと思っていますが、
 
僕が糞詰まった経験から言わせて貰えば、
もっとも僕らがやはり忘れてはならないのは、
「結局何かを実現してもすぐに飽きる。」
ということだと思うんです。
 
もちろん死ぬほどよく言われる話です。
でもほんとに僕らはそのことを忘れてないのでしょうか。
 
手元に入ってくるお金がもっと多かったら。
こんな風に言われるようになったら。
いい家や車があったら。
もっと自由が効いたら。
いいパートナーがいたら。
 
何かが実現してもすぐ飽きるとわかりつつ、
僕らは何かが実現したらなあと思いがちです。
 
もちろん人生のほとんどは過程であって
結果ではありません。
もっといえば
多くの場合大人になってからの人生のほとんどは
仕事=価値の生産
であって
娯楽=価値の消費
ではありません。
 
価値の消費量や消費の形式を変えたところで
人生はあんまり変わらない。
 
仕事が楽しくないと人生が楽しくない。
で仕事の楽しさというのはどこにあるかといえば
根本的には気分とかなんとかではなくて
「自分だからできる度合い」
にある。
仕事の楽しさとは
「楽しいぜえ」という感じではなくて
「これこそ自分以外なかなかできない貢献なり解決だ」
という役割意識なり使命感ゆえの情熱にある。
 
僕は元々「仕事とかなんなん」という人間でした。
仕事を最小限にするために
レバレッジの効くインターネットビジネスを始めたという側面もありました。
でも本を書いていて
自分だからできる度合いの高い仕事をしているときの
結果云々関係なしの過程そのもの喜びを経験することができました。
 
もちろん何を願っても
それを実現することは可能でしょう。
でも僕が注意したいし目標実現のコンサルなりをさせてもらうときに大事にしているのは
「ほんとうにその実現は
その人が登るべき山を登った先にあるのか」
その人にとって
「もっとも自分だからできる度合いを高めた先にその実現があるのか」
ということです。
 
たとえば手先が器用じゃなく頭がキレる人間が
名外科医を目指す。
別に実現は可能でしょう。
でもその人が最大限自分だからできる度合いを高められる道は他にあったのではないかと、
そう思うわけです。
 
そして他の山を登っていた方が、
自分だからできる度合いは簡単に高まって、
人生のほとんどである過程も
それゆえに充実していたのではないか。
そう思うわけです。
 
僕らの実現力も自由力も
未だに鬼のように低い段階でしかない。
それゆえに鬼のように進化する余地しかない。
鬼のような進化を楽しめる余地しかない。
ゆえに可能性は広がる余地しかない。
あらゆることの実現確率は飛躍的に向上する余地しかない。
 
でもだからこそ僕らに問われているのは
「一体何をするのか」ということ。
「一体どの山を登るのか」ということ。
 
人生がカンニングし放題で
僕らはどこまでも行けてしまうからこそ、
一体どこに行くのかを考えなければならない。
 
メルマガではまず
五つの自由力でいうと行動的自由力内面的自由力情報的自由力に相当する
実現力
=自分が望むことを実現させる技術
について本の概略のようなものを語っています。
 
もちろんそれだけで人生は
鬼のようによくなるかもしれません。
 
でも僕が是非読んでほしいのはサブの人生の方向性について。
「そもそも一体何を目指すのか。」
「どの山を登ることで自分だからできる度合いを最大化するのか。」
という五つの自由力でいうと
内観的自由力
=自分の特性を知って自分の生き方について考える技術
むしろこっちなんです。
 
もちろん得意不得意だけじゃなく
自分の人生の方向性を考えるヒントは鬼のようにあります。
 
現在メルマガではあまり経済的自由力、
ビジネスについては語っていません。
それは登る山を探す技術と
それを登る技術がわかってからでないと
意味をなさないからです。
とはいえ最初に昔書いた情報発信ビジネスの全体像についての10万字ほどのメルマガを配ったりもしています。
 

「一度きりの人生は、ベストなものになりそうですか?」

 
この質問に
「当たり前やろ」
と虚栄心からではなく心の底から答えられる人は少ないと思います。
てかもうそういう人はここまで読んでいないと思います。
 
どうやったら人生が死ぬ前に
「ああ、やりきったわあ」
というものになるのか。
 
僕は
「こうすればええねん!」
ということを一言でいうことはできません。
人生そんなに単純じゃない。
 
「やりたいことをやればいい」
「楽しめばいい」
そういう簡単な人生論で心底満足できている人生
(そんな人生はあとはよりつまらくなるしかない哀しい状態とも言えますが)
を送れている人はおそらくここまで読んでいないかと思います。
 
でも間違いなく言えるのは
僕が本でも書いている
「自分が望んだものを実現する技術
=実現力」
それともう片方
「そもそも何を実現するのか、人生の方向性について考える力
=内観的自由力」
この二つを鬼のように進化できれば
人生は人生のベストに鬼のように近づく。
 
人生のベストが実現する確率が鬼のように高まるということです。
 
現在僕の無料メルマガコミュニティではこの二つ
自分が望んだものを実現する技術=実現力
自分が何を、どこを目指せばいいのか考える技術=内観的自由力
を主眼において進化させていきます。
 
その先でメルマガコミュニティが
「全員が死ぬ前に後悔しないような人生を実現する確率を
実現力と内観的自由力を進化することで
鬼のように向上している場」
そんなものとしてみんなで創っていければいいと思っています。
 
ビジネスマンだろうがアーティストだろうが
自営だろうがサラリーマンだろうが
今を楽しんでいようが退屈だろうが
若造だろうが中年だろうが老人だろうが
頭悪かろうがよかろうが
現状に関係なく言えること。
それは実現力も内観的自由力も
鬼のように進化する余地しかない。
その先で人生が鬼のように面白くなる余地しかないということ。
 
五つの自由力を鬼進化して人生を鬼おもろくする。
こんな鬼長い文章を読んでくれたあなたが参加してくれるなら
僕は大歓迎です。
 
「目指すものがお金だろうが名声だろうが自由だろうなんだろうが
それを実現する技術を持っとけば人生確かに鬼よくなる。
 
でもそれ以上に
お金や名声や自由ではない大事な何かは実際なんなのかを考える
人生の方向性について感じるのではなく自分の特徴も踏まえて考える。
そんな技術もあれば鬼に金棒。」
 
そんな風にあなたが今思ってくれるならこの瞬間が
自分が自分として生きる一度きりの人生をベストに鬼近づけるきっかけになることを
願っています。
 

School of Free Life

ID:3tg8un