幸せで後悔しない人生の生き方と働き方についてまとめ

Contents

お疲れ様です。kimamanです。
 
この記事では僕なりに
「人間がそれぞれもっとも幸福に生きるには
どんな生き方をすればいいのか」
という人生観を二万字以上かけて語っています。
 
この人生論が
「なぜ人生に五つの自由力の進化が必要か」
ということの答えでもあります。
五つの自由力を進化させる参加者千人越えの無料メルマガコミュニティも主催しています。
 
僕はこの記事を通して
生き方についての気づきを与えて
あなたにより充実した人生を送るきっかけを網羅すべく
他のどの記事より情熱と時間をかけて書きました。
 
かなりの長文ですが、笑
僕の人生観について余すことなく述べたものなので。
しかしその時間を無駄にはさせない内容であることは保証させていただきます。
 
最初に言っておきたいのは
これがあくまで僕の主観であって
一案でしかないということです。
絶対的な真理とかそういうものを主張するものではありません。
しかし僕なりに人間が一番幸福に生きるには
ということに対する結論でもあります。
 
記事の最後にはこの記事で提案する通りの僕から見ると理想的な生き方で、
自分だからできる貢献を最大化して
情熱のある人生を生きている二人の偉人の音声も紹介しています。
この音声を繰り返し聴くだけでも人生に情熱が増えることと思いますし、
 この記事を読んでから後者の伝説のスピーチを聴くと
そのスピーチのいわんとすることが
「やりたいことをやればいい」
ということだという世間の定説がいかに曲解であるかわかってもらえると思います。
 
あらかじめ言っておくと
僕の人生観に賛同してくれ、
何か人生の指針に対してアドバイスしてほしいという人に向けて
人生相談も有料でやっています。
 
あくまでアドバイスであって宗教じゃない
というのはここではっきりさせておきます。
 
その詳細と申し込み方については記事の最後で語っています。
 
では僕が思う最善の生き方について
本題に移りましょう。
 

1、「やりたいことをやれ」という人生論はアホらしい

 
僕の以下の別の記事でも述べているのですが
 
「やりたいことをやれ」
という言葉ほど
アホらしいと思う人生観はありません。
 
まず一つ目それは
「あまりにも曖昧だから」です。
 
やりたいことと一言で言ってもいろいろあります。
それは
自分がやっていて楽しいことなのか
それとも未来において成し遂げたいことなのか
それとも自分がワクワクすることなのか。
「やりたいことをやる」なんて言葉ではなにもはっきりしません。
 
そして
やりたいことというのは
自分が欲していること
という意味ですので
「やりたいことをやればいい」
というのは
「欲望のまま生きればいい」
というのと
なんら変わりません。
 
その言葉の通り
誰もが欲望のまま生きたらどうなるか
本能のまま生きたらどうなるのか。
その人間の人生はろくなものにならないことくらい誰にでもわかります。
 
その人間の欲望というのを
低次のものから高次のものに分類し
人間が幸福に生きるには
ということを考えた心理学者マズローの理論について
巷で話題になっているアドラーなんかよりよほど有用なものとして
あとで改めて紹介しますが、
以下の記事でも詳しく紹介しているので
先に理解したい方は読んでみてください。
 
ということでまず
「やりたいことをやればいい」
なんて人生論は否定します。
 

2、まず「人間は食っていかなければならない」ということの本質的な意味とは

 
やりたいことを
やりたくないこと
そんなことはおいておいて
まず前提として踏まえておきたいのが
 
「人間は食ってかなきゃいけない」
ということの本質的な意味です。
 
家が大富豪である
食べ物を食べなくても生きられる
そんな一部の人は除いて
人間は
「食べ物や飲み物を摂取するためのお金を最小限稼がなければ生きていけない」
これは事実です。
 
でこれってどういういことなのかというと
お金というのが人の役に立った対価であることを踏まえると
「人間はある程度(最小限)は人にどこかしらで貢献することを義務付けられている」
ということだと思うんですね。
 
でこれは逆をいえば
「食っていける程度に人の役にどこかで立たない人間には
生きていく資格はない」
ということです。
 
僕はこの前提から
幸福な生き方とは何かということを考えるべきだと思っています。
 
やりたいことをいくらやっていたって
結局食っていける程度
最小限人のためになってなきゃ
生きる資格はないんですよ。
 
これはまずはっきりさせておきたいと思います。
 
つまりまずは
やりたいことなんかより
どこでどうやって人の役に立つか
ということから考えたほうがいいということです。
 

3、僕が思う「世界で最も幸福で充実した人生を生きた偉人」のいうことは全部一緒だった

 
幸福というのはそもそも
抽象的で曖昧で
つかみどころのないものです。
 
だから
「幸福に生きるにはどうしたらいいのか」
ということを考えたところで
そもそも具体的な自分が納得できる答えを出すことは困難です。
元々「幸福」という目標が曖昧で抽象的なので
そのための生き方について出す答えもあやふやで当たり前です。
 
で多くの人はここで
「生きがいや生き方について考えたってわからない」
そう思って考えるのをやめてしまいます。
 
でも僕は生き方について考えないで
どうして生きることができるのか。
そういう風に考えてしまう面倒な人間でした。笑
 
小さい頃から今まで
気づいたら人間の生きがいや
人生の意義について考えてしまう人間でした。
 
で自分の生き方について考えるための最初の一歩として
「幸福」という曖昧なものを目標にするのではなく
自分が
「この人みたいな人生を生きたい」
と思えるような
言ってみれば自分の人生のモデルを見つけることから始めたんです。
 
でそれが誰であったかといえば
坂本龍馬
スティーブジョブズ
孫正義
そういった人々でした。
 
僕には彼らが
自由でありながら
かつ充実した人生を
嬉々として生きている
そんな人々に見えました。
 
だから彼らの生き方の共通点を探せば
僕がすべき生き方がわかる。
そう思ったわけです。
 
そしてそれを探すうちに
一つの共通点があることに気づきました。
 
それはジョブズにおいては以下のインタビューの中で語られていることであり
孫正義においては以下のラジオ出演の中で語られていることであり
坂本龍馬においては
 
そして彼らはそれを単なる綺麗事にせずに
きちんと自分に内面化して行動に移して生きています。
 
それはずばり一言でいえば
「自分のためのビジョン=夢ではなく
他人、
もっといえば世界についての
一生をかけて情熱を燃やすことができる
めちゃくちゃでかいビジョン=志を持ち
それに打ち込むこと」
これなんですね。
 
そしてそのくらい情熱をかけて
自分の時間を捧げられる仕事が
「志」であり
「天職」というものだと思うんです。
 
さっきも言ったように
どうせある程度人の役に立つことを義務付けられているのだから
仕事を
楽しいというよりか
情熱を捧げられるものにすること。
それがジョブズや孫正義や坂本龍馬がやったことです。
 
ジョブズは彼の有名なスタンフォードでの演説の中で
「自分が最大の情熱を持って取り組める仕事を探しなさい。
それを見つけることを諦めてはならない。
絶対に「天職」ではない職に落ち着いてはならない」
ということを「don’t settle」という言葉を繰り返すことで何度も言ってますが
それは彼が「天職」に人生を捧げられたことを心から幸せだったと思っていたからでしょう。
 
彼らの名声やお金はその結果に過ぎません。
彼らの本質は彼らの生き方にあります。
 
でこれで終わるとそこらへんの
結局読んだだけで何の身にもならない文章になるので
逆に人生がなぜつまらないのか
「天職」とはなんなのか
ということについて考えていき
最終的にこの記事を読んでいるあなたに天職を見つけてもらうことが
この記事の目的です。
 

4、人生がつまらないのは「天職」にありつけていないから

 
僕が思う「最幸」な人生を送っている人は
みんな自分の情熱と時間を捧げられる
「天職」
を見つけてそれに没頭している人でした。
 
逆に人生がつまらないのはこの「天職」を見つけ
それを実践できていないからだと思うんです。
 
さっきもいったように
人間は「食っていける程度には」
人に貢献することが義務付けられています。
誰もが
人の役に立つこと=仕事
を持たなければなりません。
 
そして多くの人にとっては
仕事をする時間というのが1日の大部分の時間を占めることになります。
 
それなのに多くの人は
自分を最大限活かせる
情熱を持てる仕事に就くことができていません。
 
「天職」にありつけた人
情熱を傾けられる仕事を見つけた人が
世の中で一番幸福。
 
これは僕が身を以って知ったことでもあります。
 
具体的にいえば
僕はPC一台でどこにでも行ける自由
やりたいことができる自由というものを
PC一台からの収益を十分出すことによって得ました。
 
しかしそこで待っていたのは
「なんで自分が生きているのかもわからない日々」
「人生ってあまりに長くないかという考えにかられる日々」
だったんです。
 
まあこうなることは
自由になる前から八割型分かっていたことでした。
僕だけじゃなくてPC一台からある程度収益を得て
自由になったけれど人生がつまらない
そういう前例はたくさんありましたから
きっとそうなるのだろうなという思いがありました。
 
でも実際にそれを経験してみると
知識としてではなく
実感として
自分が情熱を持てる仕事を持つことが
いかに自分の幸福な人生にとって大切なのか
ということを理解したということですね。
 
今僕が「天職にありつけたのか?」といえば
それは定かではありませんが
「文章を書く」という仕事に
前よりも情熱を持って取り組めているのは確かです。
 
仕事というのは
天職かそうでないかという白か黒かという存在ではなく
どれくらい情熱を持てるのか
どれくらい自分を活かせるのか
そういう程度の問題で
天職に向かって進化させていけるものなのかもしれません。
 
 

5、「天職」に時間を捧げられた人たちが経験している幸福とはどんなものなのか

 
なぜ
坂本龍馬
スティーブジョブズ
孫正義
のように
 
自らの天職を見つけ
そこで世界のためのビジョン=志
に生きた人間たちが
きっと最も幸福であっただろうと僕が思うか。
 
それは名著の呼び声高い
ジェームズアレンの原因と結果の法則が言っているように
 
「人間には
利他的な思いで生きているときには喜びや楽しさが付き添い
利己的な思いで生きているときには悲しみや辛さが付き添う」
 
これが真実だと思っているからですね。
これは別に信仰ではありません。
 
もっと具体的にいえば
人間が利己的な思いで生きているとき
そこには利己的な欲望が生じます。
 
そしてよく言われるように
結局のところ自分勝手な欲望というのは
いくら充しても尽きないもの。
だから利己的な思いで生きているときには
このような無限の欲望が満たされない
欠乏感ばかりが思われて
幸福度が下がるということです。
 
逆に利他的な思いで生きているときにはどうなるか
そのときには人間は自分勝手な欲望を持たずに
他人の幸せを願うことができます。
そして人のための願いというのは
それをすればするほど
「いいことをした」
という満足感に浸れるものです。
だから結局幸福度が高いんです。
 
ジェームズアレンの原因と結果の法則が
なぜ今日に至るまで名著と言われているか
 
別に内容が文学的だとも思いません。
これが名著なのはひとえに
「利他的であるということが
単なる規範ではなく
それぞれを感情レベルで利することができる
そんな幸福のための処世術である」
ということを一冊に渡ってずっと語っているからでしょう。
 
で話は戻って
坂本龍馬を始めとする
自分にとどまらず世界のためのビジョン=志
これに情熱と時間を捧げた偉人が
もっとも幸せだったのではないかと思う理由はもちろん
 
彼らがもはや志に没頭し
自分勝手な欲求、
つまり苦悩の根源が存在しなかったから
もっといえば人のためのビジョンという
喜びの素が圧倒的に大きかった
そう思われるからなんですね。
 
「天職」を見つけられれば
その分野での誰かのためのビジョンに
情熱を時間を捧げることができるようになります。
そうすると
幸福度も結局最大限上がる。
 
充しても充しても際限がない
そんな自分のどんな欲求を充したときよりも
最大限QOL(クオリティオブライフ)が上がる。
というのが僕の考えです。
 

6、偉人をマズローの段階欲求説から解釈する

 
「じゃあとっとと天職の見つけ方を教えろよ」
という人も多いと思うので
そういう人はすっ飛ばして天職とはなんなのか
そしてそれを見つけるにはどうしたらいいのか
という部分の記事を読んでください。
 
でもまだ僕の提案する最幸の生き方を説得するには
まったくもって感覚的で
論拠に欠けると思います。
 
僕もまだまだ理論的な部分を説明しないと
納得いかないので
ここからは少し小難しい話をしたいと思います。
 
でまず
僕が提案する生き方というのの基本となっている
マズローの段階欲求説というのを簡単に紹介しながら
じゃあそれをどんな風に使って
自分の生き方を考えるか
とうことについて話したいと思います。
 
巷では「嫌われない勇気」でおなじみの
アドラーという心理学者が有名ですが
僕はマズローの理論の方が
よほど自分の生き方を考える上で有用だと思っています。
 
とはいえ彼の理論を余すことなく説明すると
冗長すぎるので
必要だと思うところだけに絞りますね。
再掲ですがもっと詳しく知りたい方は以下の記事を読んでください。
 
あらかじめいっておくと
僕は厳密にマズローの理論を説明するわけではありません。
幸福論を考えるために多少違ったように解釈しています。
 
で彼の理論というのは
人間は生きていくにつれて
満たす(べき)欲求を進化させていく(べき)というものです。
 
つまり
生活において達成しようという主眼になっている
そんな欲求が進化していくということですね。
 
それは一番次元の低いものから順に
生理的欲求
→安全欲求
→所属と愛の欲求
→承認欲求
→自己実現欲求
→(自己超越欲求)
という風にですね。
 
まあ彼が唱えているのは自己実現欲求までで
自己超越欲求はその上にある最終形態的な形で書かれているので
一応カッコをつけました。
 
で簡単に一つ一つの欲求を説明していくと
a.生理的欲求
→言い換えれば本能的欲求
つまり動物として備えている食欲睡眠欲排泄欲性欲
というものですね。
b.安全欲求
→危機を回避したい安全安心な暮らしがしたい
c.所属と愛の欲求
→誰かと繋がりたい、どこかに所属したいという欲求
この欲求が満たされないと「寂しい」と感じるわけですね。
d.承認欲求
→別名尊厳欲求といいます。認められたい、注目されたい、尊敬されたいというものですね。
e.自己実現(成長)欲求
→これがよく誤解されることが多いのですが自己実現欲求とは何か理想の自分を実現したいとか何か目標を達成したいとかそういう結果を志向するものではなくて
「自分の可能性を最大限成長させていきたい、
実現していきたい」
という成長欲求なんですね。カッコ内で書いてますけど。
いってみれば「進化したい」という欲求のことです。
 
でこれについてもう一つ僕が思うのが
どこでもいいから成長すればこの欲求が満たされる
というわけではきっとないんですね。
 
自己実現(欲求)というのはさっきもいったように
「自分の」可能性を最大限発揮したい、より発揮したい
というものです。
 
それは成長すべき分野はそれぞれ違うんですよきっと。
 
たとえば運動神経がない(運動の才能がない)
そんな人がサッカーをうまくなったって
結局他の運動神経のある人間に
すぐ追い抜かれてしまうわけですから(中学のときの僕ですが)
それがその人の幸せにつながるのかといえばそれは違いますよね。
 
あくまでその人間に向いている分野
そこでの進化がその人間の幸せにつながると思うんですね。
でそれがどうやって幸せにつながっていくのか
「向いている」とはなんなのかという話ももちろん後ほどします。
 
f.自己超越欲求
この欲求がちょっと一番理解しがたいというか実感がないという感じの欲求です。笑
まあここまでいくと偉人レベルに人生が充実という感じです。
この孫さんの音声とか聴くと分かりやすいと思います。
 
彼は完全に自己超越欲求を主眼に生きている
「偉(い)人」と呼ぶにふさわしい人間ですね。
 
でここまで説明したところで言っておきたいのが
「高次の欲求に進んだらそれより低次の欲求が完全になくなる」
ということではありません。
 
たとえば自己超越の段階に行ったら
「誰かに認められたい」という承認欲求が失われるわけではありません。
 
「高次の欲求に進むにはそれより低次の欲求を完全に満たさなければいけない」
というわけでもありません。
 
自己超越の段階に行くには
「誰かに認められたい」という承認欲求を100%満たさなくてはいけないわけではありません。
 
じゃあどの程度各欲求を満たせば次のステージに進めるのかというと
マズローは
「生理的欲求では85%、安全欲求では70%、所属と愛の欲求では50%、自己実現欲求では10%」
という風に言っていますね。
 
そのくらい各欲求を充足すると次のステージに進めるというわけです。
まあこのへんのパーセンテージは多分適当なので
各欲求そこそこ満たせば次のステージに移行すべし。と。
べきというのはそうした方が幸福だということです。
 
ですが当然
「自己超越が最終形態だからといって低次の欲求からいきなり飛び級」
ということができるわけでもありません。
 
たとえば毎日の食べ物に困る人間が
いきなり全ての欲求を捨てて「人のためになろう」という風に
自己超越に生きるのは無理でしょう。
 
「自分を満たせてすらいない人が他人を満たせるわけない」
というのは愛に関する一つの名言ですが
マズローの理論においても同じようなことが言われているわけです。
 
坂本龍馬、スティーブジョブズ、孫正義ら偉人は
完全に自己超越の段階に進んでいるわけですけど
僕はそこにどうやって僕らみたいな凡人がいくかということを考えたときに
マズローの理論に一つ疑問を呈したいんです。
 

7、承認欲求→自己実現欲求→自己超越欲求という順序だと承認欲求の泥沼にはまる

 
マズローの理論だと人間の欲求は
「承認欲求→自己実現欲求→自己超越欲求」
という順で進化していくとされます。
 
各欲求を完全に満たさなければならないとはされてないにしろ
そういう順序で人間が生きていくべきだとされているんです。
 
でもそれだと僕らは
「まず承認欲求」
という風に考えることになります。
 
その結果が
現代人がはまっている
SNSの泥沼です。
 
SNSはまずリアルタイムで人と接する機会を与えることで
「所属と愛の欲求」を満たします。
そして自分の投稿にファボなりいいねしてもらうことによって
「承認欲求」を満たします。
 
しかしSNSが泥沼となるのは
「所属と愛の欲求」も「承認欲求」も
いくら満たしても次が欲しくなる。
 
そういう欠乏欲求ともいうべきものだからです。
 
満たしても満たしても
次が欲しくなくなることがない
つまりざるに水を注いでいるようなもんです。
 
そうやって現代人はSNSに無限の時間を費やし
その結果次の段階である
自己実現欲求や自己超越欲求に向かうことなく
どこか虚しさをかかえて人生を生きていきます。
 
つまり僕は幸福論を考えるときに
「承認欲求」を先に考えては
結局承認への渇望感から抜け出せないと思うわけです。
 
ですからさっきアドラーのことを若干批判しましたが
彼の理論の
「承認欲求を放棄すべし」
という部分は一部共感しています。
 
しかし一部というのは
僕は承認欲求というものが
完全に放棄されるべきだとは思っていないんです。
僕が放棄されるべきだと思っているのは
「ある種の間違った満たされ方をする承認欲求」です。
アドラーのように完全に放棄されるべきものだとは思っていません。
 
この「ある種の間違った満たされ方をする承認欲求」というのがなんなのか
逆をいえば承認欲求というのはどのように扱われ
どのように満たされるのが人間の幸福にとっていいと思っているか
それをこれから語りたいと思います。
 
アドラーの理論で僕が気に食わないのは
それが「きれいごと」の範疇を出ていないからです。
承認欲求は完全に放棄されるべき
そりゃ放棄できれば誰も苦労しねえよという話です。
 
だいたい幸福論が
「ある欲求は完全に放棄されるべき」
などということをいうのは
幸福になるには幸福になるべき
という同語反復をしていることとなんら変わりありません。
 
そんな幸福論に従って生きるには出家するしかないでしょう。
だいたい出家して修行していれば欲求は放棄できるのでしょうか。
僕は結局出家して修行しても欲求を完全に放棄できるなんて思わないですし
そんな誰にも貢献しない人生を送って死ぬときには
きっとくだらないことをしたと後悔すると思います。
 
じゃあ僕が承認欲求についてどう考えているか
 
僕は承認欲求というのは
さらに上位の自己実現(成長)欲求と自己超越(成長)欲求といっしょくたに
さらにいえばそれらの欲求の充足の結果として
満たされると考えられるべきものだと思っています。
 

8、承認欲求のあるべき満たされ方

 
僕はさきほど
「ある種の承認欲求は放棄されるべき」
といいました。
 
というのは
承認欲求にはそれを満たす正当な方法がある
そう考えているということです。
 
多くの人がSNS上で承認欲求を満たすことに
なぜ虚しさを感じているか。
 
それはSNS上で承認欲求を満たすということが基本的に
「自己実現(成長)欲求や
自己超越(利他)欲求
二つ同時に満たさない」からです。
 
具体的にいきましょう。
まあ普通の一般的なツイートに関しては
これが人のためにろくになっていないことは自明なので
説明する必要もないかと思いますが
 
たとえば面白ツイート
人をある程度笑わせて人の役に立って自己超越(利他)欲求を満たしたとして
別にそこでどんどん進化し
これこそが自分が実現できる、実現すべき可能性だ
という風に思える人はあまりいないでしょう。笑
そうおもえる人はどんどん「面白ツイート」という分野で成長しつつ
役に立っていけばいいと思んですけど
 
旅行写真やリア充アピールツイート
こういうものは人を楽しませているのかもしれませんが
自分だから有する可能性の成長
そういうものにつながるはずはありません。
 
こういうことを考えてみたとき
SNSで承認欲求を満たしているときに感じる虚しさというのは
「自分じゃなくていい」
「自分だからできることじゃない」
という自分という人間の特殊性を失っている
没個性化されている
そんなことに由来するのではないかと思うのです。
 
「自己超越(利他)欲求」を満たさない形で
言い換えれば人の役に立たない形で
承認欲求を満たすということが虚しいというのは
暴走族を始めとする
「悪目立ち」
が虚しいだろうということで
割と一般的に虚しいと認知されているように思うのですが
 
「自己実現(成長)欲求」を満たさない形で
言い換えれば
「自分だから」有する可能性の実現
個性の表現なしに
承認欲求を満たすという行為が虚しさを喚起するというのは
案外そう思われていないような気がします。
 
でも僕はこの
「その人だからできることなのか?」
ということがもっと重要視されるべき時代だと思っています。
 
そして一人の人間の人生においても
「自分だからできることはなんなのか」
「自分が実現すべき可能性とはなんなのか」
そういうことがもっと考えられれば
人生をもっと楽しくできるように思います。
 
もっとも正しい承認欲求の満たし方
ゆくゆくその人間をもっとも幸せにする承認欲求の扱い方
それはそれよりマズローの理論で上位であると考えられていた
「自己実現(成長)欲求と
自己超越(利他)欲求」
これを同時に満たすようなやり方。
その結果として承認欲求が満たされるというのが
虚しくない承認欲求の満たし方だと思うのです。
 

9、人生の指針を決めるにあたっては

「自己実現(成長)欲求→自己超越(利他)欲求→承認欲求」という順で考える
 
じゃあ具体的にどんな風に人生の指針を練ればいいのか
まずは自己実現欲求を満たすべく
 
「自分がどこで成長したいのか
自分がどこで進化したいのか
自分だからもっている可能性はどこなのか」
ということを考える必要があります。
 
そしてその次に
それが役に立つのか。
ということを考えます。
 
これが天職となるわけですね。
でこの
「天職=自分だからできる人への貢献分野はどこか」
ということを洗い出すには
もっと多くの質問が必要なので
それについてはあとでまとめて詳しくリスト化します。
 
そしてこの天職での
成長
そして貢献
その結果として
人から感謝されたり素晴らしいと言われたりして
承認欲求が満たされる。
それがあるべき承認欲求の扱い方であり
充足の仕方ではないかと。
 
言い換えれば承認欲求というものは
それをまず単体で満たさずこらえることで
自己実現(成長)欲求の充足=自分だからできることの成長
自己超越(利他)欲求の充足=人に貢献する
これらの欲求を満たすべき行動の促進として
いわば燃料のようなものとして使われるべきものだということですね。
 
「欲がなければ成功しないから欲を持て」
というのは「成功」を人の役に立つことでその結果返ってくる富という風にとらえれば
「欲を人の役に立つ燃料として使え」
ということになりますね。
 
これは承認欲求にとどまらない話だと思います。
それより低次元の
所属と愛の欲求=人とつながりたい欲求
生理的欲求=本能的欲求
こういう欲求も燃料として使われるべきだと僕が思う欲求ですね。
 
究極の昇華は
自己実現と自己超越という二つの最高次の欲求を満たすために
他の低次の欲求を満たさずに燃料として使うというものです。
 
それを成し得た作品が芸術分野でも賞賛されるわけですね。
たとえば僕が知る限りもっとも素晴らしい昇華をできている音楽作品は
ジャスティンバーノンというシンガソングライターが失恋をして
その失恋への痛みを癒すために実家に長らく引きこもって創った
bon iverというソロプロジェクトのファーストアルバムですが。
 
 

10、僕が加速させるべきだと思っているサイクルについて

 
まず承認欲求は置いておいて
自己実現(成長)欲求と自己超越(利他)欲求を同時に満たせる
そういう分野を探そうということを話してきたわけですが、
 
この二つを探しその分野で行動していくということを考えるときに
「つまりこのサイクルを加速させればいい」
と僕が人生を充実させるために加速させるべきだと思っている
一つのサイクルについて話したいと思います。
 
このサイクルはもともと
「情報発信ビジネスをたのしくかつ成功させるにはどうしたらいいのか」
ということを考えているときに思い至ったものです。
 
ビジネスを上手く生かせるというのは
すなわち人への貢献を
最大化しかつ最大に充実させていく
そういうことです。
 
それはつまり自己超越(利他)欲求を
最善の方法で満たしていくということにつながるわけです。
 
でそのサイクルが以下のものです。
 
じぶんだからできる度合いが高い
→希少価値が高い
→付加価値が高い
→貢献(マネタイズ)効率がいい
→じぶんだからできる発信だから充実感があり貢献が捗る
→自分が貢献の対価としてどんどん富んでいく
→貢献効率がいいから馬車馬のように働かずに済む(自由だ)し
じぶんだからできることで人に貢献している感覚があって充実感のある人生
→自分だからできること(個性)の進化が捗る
→自分だからできる度合いが高い
 
でここで言っておきたいのが
あくまで希少価値が高い→付加価値が高い
というだけであって
希少価値が高い=付加価値が高い
ということではないといことです。
 
これは当たり前ですが
希少価値がいかに高かろうが
それが人の役に立たなければ
それは付加価値が高いものとはなり得ません。
 
一見当たり前のようですが
これが見過ごされているせいで
どんどん
希少価値は高いけれど人の役に立たないもの
これを生み出すことによってどんどんドツボにはまっていっているのが
文学や芸術分野です。
 
まああくまで僕の一意見なのですが
多くの文学者や芸術家が
苦悩の末に自殺したり鬱になったりするのは
彼らが偉大であるせいで
または頭が良すぎるせいで
苦悩をこじらせたからということでは決してありません。
 
それは文学者や芸術家の
傲慢な知的自己顕示欲の露呈でしかないと
僕は思っています。
 
なら彼らがなぜ苦悩するか
それは彼らが
「珍しい、特殊な」ものを創ることだけにとらわれれ
べつの言い方をすれば彼らがそういう
「凡人の平凡なものではない特殊なもの」を創ったという
そういう名声だけを得ることに焦点を当てるだけで
美を表現したいとか
善を表現したい(人の役に立ちたい)とか
そういう利他的な思いを極限に欠いた生活をしているからにすぎません。
 
それを彼らは
「才能があるから苦悩した」とか
「偉大だから人の深い苦しみがわかった」とか
あくまで自分の才能の結果として捉えたがらない結果
利他的な道を外れて自己中な道を行くがゆえに
破滅していくわけです。
 
もう一度ジェームズアレンの言葉を引用させてもらえば
 
「心が邪悪な思いに満ちているとき、
私たちに痛みがもたらされる。
雄牛につきまとう荷車のように。
 
純粋な思いを持ち続ければ
喜びが後からきっとついてくる。
自らに寄り添う影のように。」
 
これは人間の不幸、幸福、感情レベル話しにおいて
絶対的な法則というよりメカニズムです。
このメカニズムに沿って考えれば感情というのは
「自分が自己中なことを考えているか
それとも利他的な世界の繁栄を志向することを考えているのか」
という自分の思考の正しさの指標となっているということです。
 
しかし一部のあまりにも傲慢な文学者や芸術家は
これを認めようとしません。
その結果そのまま自己中心的な
知的自己顕示欲の露呈としての名声の追求に走り
結局ひどい場合は自殺という破滅を選んでしまうということです。
 
少し話しが逸れましたね。笑
この傲慢な
人の役に立とうとしない文学者や芸術家についての話しは
僕がどうしても意見したかったことの一つなので
言わせてもらいました。
 
もう一つ言わせてもらうと
僕は別に文学や芸術それ自体を批判しているわけではありません。
 
真善美はつながっていて
真や美を追求することは最終的に誰かの役に立つことつながると思っています。
しかしある種の文学や芸術は美でも真でもない
完全に自分のエゴである自分の名声を第一に追求していて
それを改めようとしない人々は傲慢だと言いたいんです。
 

11、才能はそこで人の役に立つ責任であるということ

 
自己実現(成長)欲求と自己超越(利他)欲求
どちらも見たせる場所を見つけることが重要だという話をしたわけですが
それはつまり
「人間は役に立ちさえすればいい」
と僕は思っていないということでもあります。
 
まあ何も貢献しないよりは
もちろん貢献した方がいいと思います。
親が自分の代わりに人の役に立って
お金を出してくれている学生時代を除いて
人の役にどこでも立たないという生き方は
人間が食っていかなければならない限り
許されていません。
 
しかしたとえば
人と話すのが得意な社会的な人が
何かPC一台で完結するプログラミングの仕事をしたり
逆に一人で何かを深めるのが得意な人が
外回りの営業の仕事をしたり、
そういうのは本来あるべき姿じゃない
つまり当人が幸せな生き方でも
世界にとって意義のある生き方でもないと思うわけです。
 
才能というのは
ただ人がたまたま授かった長所じゃありません。
何か才能を与えられたということは
そこで役に立つ使命を
責任を与えられたということです。
 
その責任を果たさなければどうなるか
結局のところ
「自分に一番向いているわけではない」
そういうところで仕事をすることになるわけなので
仕事に対して情熱を傾けられなかったり
もっと他のことができたのになあと思いながら
生きることになるわけです。
 
それはきっと不幸です。
僕は基本的に不幸というのは
「その考え方や生き方、間違っているよ」
という知らせだと思っています。
 
もう一度ジェームズアレンの言葉を引用すれば
 
「心が邪悪な思いに満ちているとき、
私たちに痛みがもたらされる。
雄牛につきまとう荷車のように。
 
純粋な思いを持ち続ければ
喜びが後からきっとついてくる。
自らに寄り添うように。」
 
才能が与えられたのは単なる幸運ではありません。
それは人のために使わなければ
不幸を以って人を滅ぼします。
 

12、短所や嫌いなことを知らないと才能もわからない

 
まずは自分が成長させたいと思う可能性を
自分の才能を
自己実現(成長)欲求を満たす分野を見つけることが大事だと
僕は思っているわけですが
 
得意なことや好きなことだけでなく
その逆に短所や嫌いなこと
これだって自分がどこで成長していくべきかということを考えるための
材料の一つとして使えるものでしょう。
 
たとえばそういう短所や嫌いなことが原因で
何か不本意なことが起きたとします。
そのときにその出来事だけ見ていたら
結局のところ短所や嫌いなことは邪魔物でしかないことになります。
 
しかしここでも
「短所や嫌いなことが原因で起きる何かは
そっちじゃないよということを捉えるためにある」
僕はそう捉えます。
(もちろんそうやって割り切れないことも多々ありますが
最終的にはそうやって割り切ろうとします。)
 
「万事塞翁が馬」
という言葉は解釈次第でいかようにもその出来事がとらえられる
ということではなく
すべての出来事がより自分を活かせる生き方へとつながっている
そうとらえています。
 
ですから短所や嫌いなことというのは
邪魔物どころか宝です。
より自分を活かせる生き方や道を教えてくれているわけなので。
 

13、自分のこともろくに知ろうともせずに人とやたらめたらつながる人々

 
何かに挑戦して失敗するなり成功するなりして
自分の向き不向きを知っていくというのも
確かに一つの自分を知るための手段かもしれません。
 
しかし僕は
そんなことせずとも一人でじぶんに向き合って
じぶんが成長させていきたいと思う分野
じぶんの才能
逆にじぶんの嫌いなこと
不得意なこと
そういうことを吟味すれば
ほとんどの人が自分が掘るべきところがわかるのではないかと
そう思って仕方がありません。
 
むしそ周りを見ていて思うのは
自分を活かそうという気がない
自分を活かせる生き方をしよう
そういう思いを全然感じません。
 
SNSで同じような
誰でも投稿できるような
「〜が美味しかったー」
「〜がすごかったー」
「〜が楽しかったー」
そんなことを投稿し
またはそんな投稿をずっと眺めるのに
1日に何時間もかけます。
 
誤解を恐れずにいえば
「あなたという人間の特殊性はどこにいったのか。」
そう思わずにはいられません。
 
僕は大学生ですが
ところ狭しと予定を入れて
とにかく忙しくする周りの人間が理解できません。
 
時々電車で宛先も決めずに旅に出ます。
一人で遠くにいきます。
それは僕にとって
自分という人間の向き不向きを問い直すいい機会ですし
そんな一人でなんの予定もない時間を大切にしています。
自分だからできることの理解なしに
一体先の道をどうやって決められるのか
僕わからないからです。
 

14、「自分だからできること」以外をやっていると不自由だしつまらない

 
さっき
自分だからできることの進化というのは
希少価値の進化であり
それが人の役にた方向に向かっていれば
付加価値の進化ということにもなります。
 
僕が加速させたいと思っているさきほどのサイクルを再掲
 
自分だからできる度合いが高い
→希少価値が高い
→付加価値が高い
→貢献(マネタイズ)効率がいい
→じぶんだからできる発信だから充実感があり貢献が捗る
→自分が貢献の対価としてどんどん富んでいく
→貢献効率がいいから馬車馬のように働かずに済む(自由だ)し
じぶんだからできることで人に貢献している感覚があって充実感のある人生
→自分だからできること(個性)の進化が捗る
→自分だからできる度合いが高い
 
自分だからできることをやらなければ
それを進化させなければ
結局のところ自分の付加価値というのは向上しません。
まあ貢献効率をあげられなければ
食っていけるくらいのお金を最低限稼ぐために
多く働かなければならないことになります。
 
しかもそれは自分だからできることじゃない以上
「自分じゃなくてもいいじゃん」
という思いに強く苛まれることになるのではないでしょうか。
 
まあこの
「自分じゃなくていいじゃん」
ということは
「自分にしかできないこと」
をやれている人以外には
ずっとなくなることはないですよね。
 
しかし「自分だからできること」をやれば
それがたとえ「自分にしかできないこと」でなくても
少なくとも
「他にやるべきことがあるんじゃないか」
そういう思いにとらわれることはないことになります。
 
「つまらないけどやるべきことだから」
そんな風に
やりたくないことというより
自分が意義が感じられないことを
情熱を感じられないことを
無理矢理やっている人が多いように思いますが
 
希少価値≒付加価値が高いことをやるべきこと、
ととらえれば
それは必然的に自分だからできること
自分という人間の才能、
特殊性を生かせる何かになり
情熱を持てることということになるでしょう。
 
僕は
やりたくなくてもやるべきこと
面倒だけどやるべきこと
というのは存在すると思いますが
情熱を感じられないけどやるべきこと
それは存在しないと思っています。
 
僕がいうここでの
「情熱を感じるもの」
というのは
「自分はこれをやるべく生まれたんだ!」
そういうふうに思えるなにかです。
 
それは
「自分はこれをやるために自分という人間を
自分という人間の得意不得意好き嫌いを
選んで生まれてきたんだ。」
そんなふうな気がしてくるなにかということになります。
 
人間にとってほんとうに大事にすべきなのは
こういう感覚だと思っています。
 

15、「自分が生きる意義」が感じられないほどつらいことはない

 
幸福というのは最初に言ったように
曖昧でつかみどころのないものです。
だからぼくはあまり
「幸福になるには?」
という問いをじぶんに問いかけることはありません。
 
代わりに考えたのが
「幸福にとって一番致命的な感覚というのが何か」
ということです。
それは言い換えれば
「どんな感覚を持っている時に一番不幸を感じるか」
ということでもあります。
 
これがわかれば
この感覚を避けることが
最優先事項になります。
 
ぼくは昔から(厳密にいえば15歳で気分障害を経験してからですが)
結構鬱になるときは徹底的に鬱になる性格で
冗談じゃなく「死にたい」と思うこともありました。
 
でどんな時に死にたくなったかというと
やっぱり
「じぶんがこの世に生きている意義が見出せなくなったとき」
そんな感覚が一番きついんですね。
 
ひきこもりとか
喋る人がいないとかではなくても、笑
そういうときって喋ってても
「ここにいるの自分じゃなくてもいいじゃないか」
そんな風に感じてしまったりします。
 
「別にじぶんが世界にいる必要性が見出せない」
そんな感覚です。
元々別に鬱とか気分が悪くなくても
自分ってなんで生きてんだろうなと
そういうことを考えてしまう性格で
気分が悪いときにはその質問が
かなりエグルというわけです。
 
音楽でよく
「生きることに意味なんかないよ」
「理由なんかないよ」
そういうことをいう曲がありますが
意味がないならなんで生きてんの?
僕らはそうやって
意味のない楽しさを毎日消費するだけに生まれたの?
そんな風に全然入ってこないですね。
 
でもそれは
ぼくが情報発信を始めてから
感じることがなくなりました。
自分がツイッターで自分が発信すれば
何千人もの人にそれを届けることができる。
そういう自分がアウトプットすることのできる媒体を持ったからです。
「自分だから言えることがある」
「自分だから誰かのためにできることがある」
そういう風に思えるようになったからです。
 
仕事は人のためになることで
自分の存在意義を感じるためにある。
そんな存在意義なんていらねえよ。
そう斜に構えていたときもありましたが
やっぱり仕事ってそうだと思うんです。
 
お金は副次的なものです。
お金がいくらあったっって
自分が生きている意義がかんじられなければ
結局のところ虚しいのは当たり前ですから。
 
幸福にとって一番大事な
「自分がこの世にいる必要性があるという感覚」
これをえるにはやっぱり
自分だからできることを進化させて
それで人に貢献して
自分だから救える人を救っていくのが一番です。
 
だから
自分だからできることを進化させよう
なければその種を見つけて磨こうと。
そういうことをメルマガやらツイッターやらいろいろで
発信しています。
 
それが僕の中で
最大限に充実した人生を生きるために
もっとも重要なことだからです。
 

16、どうすれば死ぬときに後悔しないのか

 
僕は「メメントモリ」という言葉が好きです。
自分の人生を考える際に一番大事な言葉
いわゆる座右の銘ですね。
 
なぜかといえば
ジョブズも言ってますが
ほんとうに自分にとって大事なことというのは
自分の死を見据えたときにしかわからないと思っているからです。
 
僕含め人間は弱い生き物です。
周りにどう思われるか
恥をかかないか
そんなことばかり考えて生きているのが人間です。
 
失うものなんてほんとは大してないのに
ひるんで結局
「リスクが一番低い道」を選んでしまう。
しかしその向こう側に待っているのは
可もなく不可もなく
そんな没個性的な人生であることは間違いないでしょう。
 
僕は勇気がないのは
誰だって同じだと思っています。
人が持つ勇気に大した差はきっとないと思うんです。
 
でも何か決断に際したときに
その自分が持ちうる勇気を振り絞るような決断をできるのか
それともつまらないことにとらわれて
一番リスクが低い
そんな道に進むのか
 
それを決めるのは最終的には
「自分がいつか死ぬということを
口先だけじゃなくて
実感を持って思い出すことができているか。」
ということでしょう。
 
死んでしまえば
自分が持っていた名声も富も何もかもに
さよならを告げなければなりません。
世界に残るのは
「自分が世界のために残したものだけ」
ただそれだけです。
 
人が死ぬときにもっとも後悔することランキング第一位は
「もっと冒険しておけばよかった」
ということらしいです。
それは患者の死に立ち会った医者たちが
どんなことを言って多くの人が死んでいくかを見て
実感を以って言えることみたいです。
 
でどんなことに大して
冒険しなかったことを後悔するかといえば
「死ぬまでに自分がやりたいと思っていたこと」
そして
「死ぬまでに自分が世界のためにやらなければならないと思っていたこと」
この二つでしょう。
 
でどっちが大事なんだろう。
そうかんがてみると
きっと後者じゃないでしょうか。
前者は結局のところ
まあ諦めがつくと思います。
 
でも後者をできなかった人生は
「自分が自分という人間を選んで生まれてきた理由を果たせなかった人生」
だと思うんですね。
 
自分の才能や特徴を活かした
すべき貢献ができなかった
そんな人生を終えてしまったとき人間は
死ぬ前に後悔するんだと思うんですね。
 
僕もある時期は
「その時々を楽しむために人生はある」
そう思っていたことがあります。
 
でもそうやって1〜2年生きてみて
だんだん
「自分は誰なんだ?」
「自分はなんで自分という人間として生まれてきたんだ?
別にこのまま生きるなら自分じゃなくていいじゃないか」
そういう思いが拭いされなくなりました。
 
しかもこのままいけば間違いなく
死ぬときに後悔するなと
でそれってすげえ悲しいことだなと
そう思ったんです。
 
結局今を楽しもうとしても
僕は上のようなことを考えてしまって
その今を楽しめなかった。
その上このままじゃ死ぬときにも
終わるときにも後悔しそうだとなれば
生き方を変えざるを得ませんよね。
 
もちろん僕は今を楽しまなくてもいいと言っているわけではありません。
ただその「楽しみ方」に問題があると
人生そのものを後悔することになりかねないし
結局虚しさが積もっていくことになる。
 
でその虚しさがつのる楽しみ方の最たる例が
「低次の本能的欲求を満たすことで今を楽しむ」
そんな生き方だと思います。
逆にいえば虚しさがつのらない今の楽しみ方というのは
「自分が持っている可能性を進化、成長させていく
その進化や研究や成長を楽しむ」
というきっとそんな生き方です。
 
しかしその進化や成長も
アリストテレスの言う「真善美」
つまり何らかの人類への貢献につながってなければ結局のところ
モチベーションも枯渇していくことでしょう。
 
今の進化を楽しみながら
それによって自分だからできる人への貢献をして
死ぬときにも
「ああ、自分はやるべきことをやったし充実した人生だった」
そう思えたらこれほどいい人生はないですよね。
 

17、「幸せとは旅の仕方であって、行き先ではない」

 
アメリカの実業家ロイグッドマンは幸福について
「幸せとは旅の仕方であって、行き先ではない」
という至言を残しています。
 
僕はこの言葉が至言である理由について
「成功=幸福じゃないよ!」
というありふれたことを言っているということが素晴らしいのではなくて
幸福は結局のところ
生き方だと。
それは考え方でもないと。
そう言っているところにあると思っています。
 
「幸せは考え方次第。」
そういう風によく言われます。
僕もある時期までそう考えて
たとえば聴く音楽を変えて
自分により感謝を増やしたり
利他的な思いを増やしたり
そういうことをしていました。
 
けれど考え方次第で
その場での感情状態は改善できますが
やっぱり
そんな小手先のことで自分の人生に
心の底から満足することも
死ぬときの後悔を一つも無くすことも
できないんですねきっと。
 
いくら考え方が清らかであろうと
自分を活かせる場所に自分がいないと
やっぱなんか違うという思いが付きまといます。
少なくとも僕はそうでした。
 
「人間は人生を理解するために創られたのではない。
人生を生きるために創られたのである。」
というのはジョージサンタヤーナの言葉ですが
 
やっぱり思考というのが一つの行動であるにしても
考えているだけでは人に影響することは
殆どできません。
 
やっぱり
何かをアウトプットすること=生きること
これが人生に
心から充足感を感じるためには重要になってきます。
そんな当たり前のことを
僕は1〜2年間の至って閉じた生活から学んだわけです。笑
 
幸福は考え方次第なのではなく
生き方次第なのだということを。
 
そしてその
最も幸福な生き方とは僕が思うところによると
くどいようですが
自分だから持っている可能性や才能を進化させながら
人に自分だからできる貢献をしていく
そういう人生にあると思うのです。
 

18、改めて天職とは具体的になんなのか

 
やっとのことで天職それ自体の話です。笑
 
天職とはまずおおざっぱにいって
自分が得意なこと
自分が好きなこと
自分が人の役に立てること
その融合部分にある「分野」であるといえるでしょう。
 
ここで言っておきたいのが
天職とはあくまで一つの分野にしか過ぎず
それは天職といえど成長しないうちは大して楽しくなく
進化してクオリティがあがるほどにそれに比例して
どんどん情熱を捧げるようになってくるのではないかということです。
 
得意なことや好きなことがわからないという人は
あとでそれを明らかにするためのもっと細かい質問集を載せますが
「自分が妙に興味があることはなにか?」
「自分が妙にワクワクすることはなにか?」
そういう風に問うてみてください。
 
そして天職を探すうえで他に重要なのは
「自分がどんなところで苦労してきたか」
というところですね。
 
往往にして天職というのは
自分のコンプレックスに近かったり
同じような境遇にあった人を救うものではないかと。
 
何か痛みを経験する意味というのは
その痛みを同じように経験する他人に共感できるようになることだと
そしてゆくゆくはそれ共感や同情に止めずに
自分と同じ痛みを抱いた人間を救うことだと
僕はそう思っています。
 
なにかつらいことがあったというのは
同じ痛みを経験した人を
情熱を持って救う権利と義務を得たと
綺麗事中の綺麗事をいうとそういうことでしょう。
 
それは自分の人生を振り返ってみたときに
わかるかもしれないし
自分がどんな人を救いたいと思っているかということを考えたときにも
明らかになるかもしれません。
 
そしてそういう
「自分と痛みを同じくした人間」を救うことこそが
自分という人間の成長=他人の成長
という自他の統合につながります。
 
とんでもなくつらいことがあった。
だから他の同じような思いをしている人を救いたい。
そういう風に仕事を決めるのは
辛かったことや悲しかったことを
ただの「人生における邪魔者」として分離せずに
きちんと自分の未来に統合しているということになります。
 
次の観点
さっき僕は
「承認欲求というものは
それだけを満たすために使うものではなく
他の高次の欲求(自己実現欲求と自己超越欲求)を満たすための燃料として用い
結果的にその二つの高次の欲求が満たされた結果として
満たされるものととらえるべきだ。」
という話をしました。
 
逆にいえば承認欲求
自分がどこでどのように認められたいかということは
自分がどこで成長したいのか
どこで人に貢献したいのか
ということをはっきりさせるための材料になるのではないかと。
 
ドラッカーは
「「人々に何によって憶えられたいか」ということを大切にしろ」
という風にいいました。
その問いかけこそがなりうる理想的な自分
自分がし得る最善
それを明らかにすることができるからです。
 
そして
「何によって憶えられたいか」ということは
そのまま人からどんな風に認められたいか
自分のアイデンティティを何にしたいのか
ということにもつながってきます。
 
後ほど
「自分の天職」
というものを明らかにするための質問集を載せますが
天職とは端的にいえば
自分の向き不向き、経験、希望を鑑みて
この分野でこんな人を救うのが自然だ
そう思える仕事です。
 
まずは自分という人間に
何が向いていて
何が向いていないのか
そして自分の人生は
どこで成長していく人生で
どこで人を成長させていく人生なのか
 
自分の今いる場所を知らなければ
自分がどの方向に向かえばいいのかということも
わかりません。
 
ということで
自分には何が向いているのか
自分は何が好きなのか
どんな人を救うこと(貢献)に情熱を持てるのか
自分がどこでどのように認められたいのか
これらの質問を軸として
自分の天職を考えてみてください。
 

19、天職を明らかにするためのもっと細かい質問集

 
とはいっても
「自分の才能とか得意なことなんてわからない」
「自分が好きなことなんてない」
そういう人も多いと思います。
 
でその結果
「自分に才能なんてない」
と考えて多くの人は諦めてしまうわけですが
僕は才能がないやつなんて一人もいないと思ってます。
その才能が大きかろうと小さかろうと
「自分の素質の中で比較してましなこと」
それは誰にでも存在しています。
 
僕はぜひともあなたにそれを見つけて欲しいです。
自分は何もいいところのないダメ人間だとか言わないで欲しいです。
そう思っているなら自信を持って言わせてもらいますが
あなたはそれをまだ見つけていないだけです。
 
ということで以下自分の天職を見つけるために
ありったけの質問集を用意しました。
この質問全部に答えていけば
少なくとも自分の方向性がうっすらとは見えて来ると思います。
 
必要なら僕も相談に乗っているので
もしkimamanに相談したいと思ったら
最後の一ヶ月人生相談についてをご覧ください。
 

人生曲線

 
横軸を年齢、
縦軸を幸福度、充実度にしてグラフを書いて、
グラフの傾きが変わってる時に起きたイベントを明確にする。

「なぜココで上向き&下向きになってるのか?」 ということを明確に
そこから

 
上昇、下降に共通していたことは?
自分が譲れなかったこと、上昇下降に影響してこだわりは?
エネルギーを注いだこと(自分の強み)
今まで本気でやったことは?
挑戦したことは?
夢中になったことは?
得意だったことは?
好きだったことは?
時間がかかってもコツコツできることは

スムーズに出来たことは何か?今までどんなことで人の役に立ってきたか?

よく相談されたことは?
今まで磨いてきたことは?
勉強してきたことは? 密かに自分にはこんなセンスがあるとかんがえていることは? この分野なら負けないということは?

それによって手にした結果は?成長は?

今までの人生でほんとうに嬉しかったことは?
 
自分が知らないうちに時間をかけてしまっていたことは何か?
自分が他の人より自己投資(時間、お金)してしまっていたことは何か?

日常生活の中で異常にこだわってしまっていたことは何か?

今好きなこと
上の過去のワークを現在に置き換えてやってみる
プラス 今何時間かけても語り尽くせないことは?(他人に十五分以上かけて語れる ことは?)
何時間でもできることは?

これらの質問を書き出した後 自分が得意なことは?(才能) 自分が好きなことは?(情熱) 自分が成長させてきたことは? という三つの質問への答えを改めて書き出す。

将来したい生活像(ライフスタイル)
 
自分は将来どんな生活がしたいのか?
もっと具体的にいえばどんな1日を過ごしたいのか?

朝起きたところから夜寝るところまで理想の生活がどんなものか書いてみ る。 例)僕だったら将来場所と時間に縛られず十分な睡眠をとってPC一台で食っ ていける自由な生活がしたかった (ただ一時的な達成のために頑張ることにならないように 自分がどんな生活をしたいのかという観点を持って人生を選ぶ)

周りとの関係性

どんなキャラで生きてきたか?
それに関して思うこと?
 
自分はどんなキャラでどんなポジションだったか?
周りからよく頼まれたことは?
 
どんな相談をされたか?
他人からよく褒められたことは?
 
他人から褒められた時に嬉しかった褒められ方は?
あの時輝いてたなあと感じる瞬間は?
そのポジションに対しての違和感は?
 
これらは今の自分にどうつながってるか?
どんなふうに思われるのが嫌だったか?

(最終的にどんなふうに思われたいのか、アイデンティティを明確にするた め)

影響を受けた人物から自分が何を望んでいて何を望んでいないのかを明確に する

 
良くも悪くも影響を受けた人は?
どんな部分が、どんな所が?
それは今の自分にどうつながってるか?
(架空の人物、著名人、歴史上の人物でも可)」を、 各ステージ(わかりにくければ小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と かでよい)

において全て書き出す。

誰と付き合っていきたいのか
どんな人に自分のそばにいて欲しいのか? (どんな人に自分のそばに寄ってきて欲しいのかというのは どんな自分らしさを打ち出していきたいのかということにもつながっている)

例)控えめな人が好きな人が髪を金髪や茶髪に染めてやんちゃなファッショ ンをしていたらどうなるか→自分が好きな控えめな人は寄って来にくくなる

→どんな人が近くにきて欲しいかということは自分がどんな自己表現をする かということの基準の一つになり得る

 
自分の性格を把握する
外交的な人間なのか、内向的な人間なのか?
ストレートにじぶんがどんな性格なのか?(周りのじぶんをよく知る人に聞 いてもいい)
自分が気分的に得意なことは?
自分が雰囲気的に苦手な人は?
自分が気分的に苦手なことは?
自分が雰囲気的に苦手な人は?

アイデンティティ

究極のじぶんが誰にとってどんな存在でありたいのか?
そのために今どこで何のために何を学ぶ必要があるのか?
ドラッカー「何によって(何の功績によって)憶えられたいか(使命)」
最終的にどこの専門領域に属する人間として生きたいのか?
ここだけは負けたくない
ここで負けたらじぶんじゃなくなる という場所は?
要は何を「自分らしさ」としたいのか?

人生の谷底、負の部分

 
大失敗、挫折は?
辛かったことは? そのおかげで良かったことは?
そのおかげでどんな生きた教訓を得たか?
自分のコンプレックスはなんなのか?
自分のトラウマはなんなのか?
人生で一番悔しかったことはなんなのか?
それが一番悔しかったのはなぜなのか?
じぶんがどう頑張ってもできなかったこと?
じぶんがどうしても苦手だったこと?
絶対許せない人は?

なぜ許せないのか?→譲れないものを洗い出す

→それが自分の核となる

(自分にはどうしてそれが必要だったのかという観点で苦悩や辛かったこと を見ていく 自分のビジネスをどうやっていくかということを決める際にもっとも重要度 の高いものの一つ 自分の苦悩というのは往々にして自分が救うべき人間がどんな人なのかとい うことを示している!)

ほんとうにやりたいことを明確にする

どんなに儲かってもこれだけはやりたくない!てことは?

 
じぶんが嫌いなこと、やりたくないことは? (ここを明確にしないとじぶんがしたい生活が明確になってこないのでとに かくできる限り書き出してみる)
 
自分がやりたいと思っていることの中で
世間がすごいというからやりたいことは? 誰かに言われたからという理由でやりたいことは?
お金がたくさん入るからという理由でやりたいことは? 単純にそれが達成されたとき褒められるからという理由でやりたいことは?
→これらはじぶんがほんとうにやりたいことではない
 
世間体・周りの目・損得を置いといて、自分が求めるもの、やりたいことは?
お金も人もすべての条件が整っていたらやりたいことは何か?
死ぬまでに絶対にやりたいことは何か?
じぶんだから救える人、救うべき人

お金も人も機会もすべての条件が整っていたら救いたい人はどんな人か?

死ぬまでに世界のためになしとげなきゃいけないと思っていることは何か?
死ぬまでに救いたい人はどんな人か?
じぶんの得意分野を活かせる
かつ
じぶんのコンプレックスがあったからこそ救える人は?(じぶんだから救え
る人にアプローチできる)
じぶんの大事にすべき理念、こだわり
じぶんが異常にこだわってしまうことは?
じぶんがこれだけは譲れないというものは?
これまで貫いてきた信念は?

目の前の人、身内

↓ ↓

周り、コミュニティ、じぶんがいる業界

↓ ↓

 
全体、日本、世界
視野を3つに分けて、それぞれにおいて、
⇒嘆かわしい・悔しい・もったいない・悲しいと思うことは何か?
⇒それを解決した理想の姿はどんなものか?
根本的な解決をした世界は?
⇒そのために自分ができることは何か?(今できるかどうかは置いておいて何ができそうか)

現在だけじゃなく未来を俯瞰してじぶんがやることを考えてみる

 
10年後→→100年後→→1000年後の世界を敢えて頑張ってイメージする。
それぞれにおいて、
 
「どんな状況になってるか?その頃に自分はどんな影響を与えたいか?
じゃあ そのために今やるべきことは何か?」
 

 20、自分の希少価値≒付加価値を最大化している偉人の情熱の音声

今日紹介する音声は完全に生きる伝説になっている「孫正義」の音声です。

ただの音声じゃなくて明治維新の志士から人のためのビジョン=志に情熱を燃やす

そんな生き方を受け継いでいるような音声です。

人生がつまらない、どこか冷めている、本気を出せない、

そんなときはこの音声を聴いてみることをお勧めします。

https://www.youtube.com/watch?v=mSLVUnwG1dg

それともう一つがジョブズのおなじみの伝説のスピーチです。

この音声が世間に曲解されているということがわかってもらえれば幸いです。

https://www.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ

21、一ヶ月人生相談について

 
kimamanに人生相談をしたいという人用に
「一ヶ月間
上の天職を見つける:人生の方向性を決めるための質問集も使いながら
その人にとって最善の人生を練っていく」
ということをやっています。
 
相談の中でクライアントさんに必要だと思う
音楽、本、記事、音声、
そういうものもクライアントさんに合わせて紹介します。(広告とか売り込みとかは一切ありません。笑)
 
僕が命令するとか
僕が決めるとかそういうことではなくて
あくまで今まで話してきた人生観に基づいて
提案をさせていただくということです。
 
まあ僕自身やたらめたら
自分の人生の方向性について迷ってきました。笑
そしてそういう
「自分はいかに生きるべきか」
という根本的な難題に迷っているとき
メンタル的に相当きついものがあるということもわかっています。
 
相談形態についてですが
メールでのやりとりということにさせていただきます。
理由は三つ。
 
一つには
なんとなく対面で
クライアントさんが救われた気になる
もしくは僕が救った気になる
そんな新興宗教みたいなことはしたくないこと。
この人生相談はもっと実利的なものにするつもりです。
 
具体的には一ヶ月後には
「これこれこういう理由で
こういう方向に進むのがクライアントさんを活かす方向性なのではないか」
ということをはっきりさせます。
なんとなくの結論は出しません。
 
二つには
対面で話せることは
書面上でも話せるという信念を僕は持っていること。
 
たとえばカップルの別れ話みたいな
感情が大きく関わってくることなら話は別ですが、笑
 
この相談は感情論は抜きにして
クライアントさんの素質と今までの人生経験を把握して
そこからある種論理的に人生の方向性を提案させていただくというものです。
 
そういう話なら別に対面でなくてもいいし
むしろ書面上で課題と結論をそのたびに整理しながらやるのが吉です。
というか逆に対面だと
言いにくいこともありますし
対面のアポをつくるというのにはかなりの労力を費やします。
対面にすると実際に有意義な相談をできる時間も限られます。
 
三つ目には
単純に僕が不必要な物理的制限を受けるのが嫌いだし
メールでないと多くの人の相談に乗れないし
対面は手間がかかるからより高額にせざるをえないということ。
 
僕は「自由力」を掲げて発信をしているわけですが
空間や時間に縛られるのが好きじゃありません。
僕は
「kimamanに相談したい」
と思ってくれたなら
できる限り多くの人の相談にのりたいと思っています。
というか逆にいえばお断りしなければならない人を最小限に抑えたいと思っています。
 
対面たかが2時間とかで
クライアントさんやその人生について知れるはずがありません。
それなのに対面にすれば
パフォーマンスもよくないし
より高いし
予定を合わせなければならないので相談に乗れる人は限られます。
それは避けたいのでメールのみということにさせてもらいます。
 
最後に一つだけ。
僕が結論を出すのではありません。
結論を出すのはあくまでクライアントさんです。
僕はそのための材料や提案を
提供するにすぎません。
 
「kimamanに人生を決めてもらいたい」
そんな感じの主体性を著しく欠いた人は相談に乗りかねます。
とはいえここまで読んでくれた方は
多かれ少なかれ参っている人だと思うので
自分で人生を選びたいという気が少しでもある方には
僕でよければ力になります。
 
値段は一ヶ月間メール回数無制限で三万円とさせてもらいます。
この一ヶ月でクライアントさんの人生を
僕が考える限り最善の方向に変えさせてもらいます。
 
で無条件に相談にのれればいいのですが‥
現在他のコンサルや企画でかなり忙しくしているので
その忙しさと人数との兼ね合いによってはお断りさせていただくこともあります。
なので相談をご希望される方は以下のアドレスにご一報ください。
consultingfreedom00@gmail.com
もし相談に乗ることが可能であれば
決済ページをこちらから案内して相談を開始させていただきます。
 
それでは
この記事があなたがより満足できる人生を創ることにつながっていれば本望です。
 

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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