乙武さんの不倫=芥川龍之介の自殺という見方

お疲れ様です。
前回の講座では
「尾崎豊の15の夜のイメージでは自由にはなれない」
という話、
世間の自由のイメージと自由の実態は全く違うという話をしました。

乙武洋匡さんの過ちと芥川の自殺を同じとする見方、
そして乙武さんの凄さと本田圭佑の凄さの共通点
それを知って自分にあてはめれば
人生はもっと楽になるという話をしていきます。

1、乙武洋匡さんの不倫=芥川龍之介の自殺
2、本田圭佑=乙武洋匡
3、つまりネタにする場所を持とう
という順でいきます。

1、乙武洋匡さんの不倫=芥川の龍之介の自殺

僕は乙武洋匡さんが好きです。
彼が不倫してしまったことを差し引いても好きです。
それは僕が信じる人生論を
彼が人生で体現しているからです。

彼の不倫について少し触れたいと思います。

彼が不倫してしまったことに関して
「今まで素晴らしい人だと思っていたのに失望した」
という声が一時期かなり世間に広まりましたね。
彼のファンだった人の多くも
離れて行ってしまったみたいです。

じゃあここで突拍子のない話をすれば
もし不倫したのが乙武洋匡ではなく
内田裕也だったらどうだったんですかね。

乙武洋匡よりは断然少ないかもしれませんが
内田裕也にもファンはたくさんいます。

でもし内田裕也が不倫したとしたら
そのファンは離れて行ったでしょうか?

多分それはないんですよね。
きっと
流れるニュースの大体が
「内田裕也ひでえなあ。」
という類の話であるのにファンである方々は
別に内田裕也が不倫したところで離れていかないですよね。

乙武洋匡さんがあそこまで世間に叩かれたのは
彼がずっと
「障害者でありながらも明るく世間のために生きている」
そういう完全に尊敬されるべき人間として
世間に認知されてきたからですね。

だから失望が広まった。

心理学の世界には
両面呈示の法則というものがあります。
別に難しい話ではなくて
メリット、デメリット両方呈示されないと
人間はどこか怪しいという思いが拭い去れない
という話です。

乙武洋匡さんのことにしても
きっとそもそも「そんな潔白なわけがない」
という思いが人々の中になんとなく存在していたのでしょう。
だからあそこまで一気に話題になった。

というのはまあ事実かもしれないにしても
今日話したい話ではなくてですね、笑
それでも僕が乙武洋匡さんが好きな訳から
不倫が芥川龍之介の自殺みたいなものだよねという話しをしたい。

先に乙武洋匡さんは僕の人生論を体現しているという話しをしました。

それはどういうことかというと彼はずっと
「自分だからできる貢献を世間に対してしてきた」
ということです。

足も手もないというのは
想像を絶する障害でしょう。
でも彼は明るく生きることによって
本や活動で世に
「それでも別に幸せに生きている人がいる」
ということを打ち出すことによって
障害を人に勇気を与えるための希少価値のある肥しに変えた。
彼は自分だからできる貢献をしてきたんです。
自分の重度の障害という才能を活かすことによって。

もし彼が自分の障害について特に発信することもなく
普通の人々と一緒に普通に働いてという道を選んでいたなら
きっと彼の障害は一般的にそう思われているように
彼が幸せに生きるために邪魔でしかないものだったかもしれません。
でも彼はそれを希少価値として活かしていける場所をとった。
まさに自分だからできる度合いが高い場所を選んだわけです。
だからこそ貢献効率が上がって
彼の元には高額の講演依頼がくるだろうし
自由かつ充実した人生を得ることができたのでしょう。

僕は発信という仕事が好きです。
好きというより愛しています。
それはなぜかといえば
万事塞翁が馬というのがキレイゴトじゃなくなるからです。

実際に自分が一般的に見てハンデを抱えていても
それを発信していけば
それに共感してくれたりして
人を勇気づけることができます。

挫折やコンプレックスこそが財産。
そういうことがキレイごとじゃなくなるのが発信という仕事です。

で彼はそういう風にハンデを希少価値に変えてきたから
尊敬しているわけですが、

別に彼が不倫をしたことを擁護しているわけではないです。

彼が不倫をしたこと自体を擁護できない理由は
芥川龍之介の自殺を擁護できないことと一緒です。

彼を擁護する理由の主なものに
「彼は手足が使えなくて自分で性欲処理できないんだから仕方がない」
というものがありますね。
確かにその点は同情するには値しますし
健常者が不倫するよりは罪は軽いとは思います。

しかし、それを擁護するならば
芥川の自殺も罪じゃなかったと。
そんな風に言わなければ辻褄が合わないと思うわけです。

というのは乙武さんの不倫も芥川の浮気も
「自分自身の特徴に負けて人に迷惑をかけてしまった例」
という風に捉えることができるからです。

乙武さんは自分自身の特徴を活かして
数々の彼しかできない貢献をされてきました。
でも彼は手足が使えないというハンデに負けてしまって
不倫をして人を傷つけてしまった。
そう言えることができるでしょう。

そして芥川も彼の類まれな頭脳を活かして
人が書けないような文学を書いて多くの人を救ってきましたが
最後はその頭脳が裏目に出てというか負けて
自殺という人の道を外れたことをしてしまった。
そう言えるでしょう。

まあ結局乙武さんも芥川も
相対的に見て自分を活かして人のためになった尊敬できる人であることは間違いないですね。

2、本田圭佑=乙武洋匡

ここでもう一人尊敬している人の名前を出します。
本田圭佑です。

彼はビッグマウスで知られていますが、
彼の魅力はそこじゃないと思うんですね。

もちろん彼が語っている夢は
自分のための欲望ではなくて
人を勇気づけるためのビジョンです。
だから彼のビッグマウスに関しても尊敬できる部分は多々あるでしょう。

僕が彼に関して最大限尊敬しているのは
彼が決して瞬発力に関して才能に恵まれた人間ではなかった。
しかしそれを人の何倍もの努力で克服してきた。
そしてそれを克服しているだけでなく
その過程を臆することなく発信して
多くの人を勇気づけているところにあります。

これは乙武洋匡さんと同じですよね。
彼の場合は手足がないという
普通に考えれば明るく生きる才能がない状況にあったのに
明るく生き、そしてそれを発信することで
手足がないというハンデを人を勇気づける材料に転換しました。

そして本田圭佑の場合は
瞬発力がないというハンデを克服してプロとして活躍することで
その運動能力のハンデを人を勇気づける材料に転換しました。

彼らはハンデを
「自分だからできること」
希少価値につなげたんです。

発信を仕事にしている身の人間としては
そういう人たちがいることにとても勇気付けられます。
彼らみたいな人がいることで
「どんなことが起きても死なない限りそれを教訓として発信すればいい」
そう腹をくくれるからです。

3、つまりネタにする場所を持とう

以前にも紹介したフロイトの言葉に
「孤独の中では、人がその中に持ち込んだものが成長する」
というものがあります。

うつ病になった15の頃、
僕はこの言葉を見て衝撃を受けたんです。

その言葉がなぜ僕がうつ病になったのか
その主たる原因をはっきりと言ってくれていたからです。

今もそうなのですが、僕は基本的に人に相談しない人間です。
大体のことを自分で抱え込み解決しようとします。

でその頃はほんとうに辛いことがあるのに、
それをだれにも言っていなかった。
フロイトの言葉はそれをだれにも言わないから
辛いことばかり自分の中で膨らんでどんどん辛くなるんだということを教えてくれたんですね。

楽しいことを発信して役に立つことは
別に本腰を入れなくても誰でもできます。
SNSを見れば
「飲み楽しい!」
「旅行楽しい!」
そういう投稿が溢れかえっています。

別にそれも一つの人の役に立つ発信だとは思いますが

さっきのフロイトの言葉をもう一度言わせてもらうと
「孤独の中では、人がその中に持ち込んだものが成長する」ということ。

昇華は消化。
辛いことをなんらかの人の役に立つことにつなげていかないと
それが孤独の中でどんどん膨らんでいって
どんどんきつくなっていくかもしれません。

要はネタにする場所を持てば
人生もっと楽になるよということが言いたいんですね。

手足がないということですら
それを発信することで自らの希少価値につなげて
それで人の役に立って
ハンデではなく恩恵だったと言っている人がいるんです。

僕らが突き当たる
挫折であったり
失恋であったり
失望であったり
そういうこともきっと
そこから何か考えて発信すれば
それは恩恵だったと言える人生を送れるでしょう。

自分にしかできないことというと
何か大層な響きですし
厳密な意味での自分にしかできないことがある人なんてほとんどいないでしょう。

でも自分だからできることなら
だれでももっていると思うんです。
たとえば今日の話で言いたかったのは
「一見ハンデや弱点と見えるものでも
それを希少価値につなげていく道はいくらでもある。」
ということです。

最初から
「そんな才能は自分にはない」といって
自分だからできることができる場所を選ばなかったらもったいないです。

才能がないことが才能。
発信をすればそれがキレイごとじゃなくなったりするし、
一般的に見れば短所でしかないことが
使いようによっては誰にもないオリジナリティになったりします。

「kimamanはいつも自分だからできることとか特徴を大事にとかうるせえけどそんなもん自分にはねえよ」
という風におもっている方も多いと思います。
でもそんなことはあり得ません。
特徴がない人間なんていないですし、
特徴がないとしたらそれ自体が特徴です。希少価値です。

ということで今日は
「自分だからできることは決して特別な人だけにあるものじゃない」
そういう話をしました。
何か気づきを与えられていれば幸いです。

ではまたどこかで。

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です