やりたいことをやればいいの罠と自分だからできること

やりたいことをやればいいの罠

kimamanです。
 
今日は
「やりたいことをやればいいのか?」
「やりたいことがないときにどうすればいいのか?」
ということについて
僕の考えにかなり大きな変化が訪れたので、
 
それについて書いていきます。
それは
「どのように生きていくべきなのか?」
ということへの僕自身の答えでもあります。
 
追伸には
「やりたいことをやればいいという人生論の弊害を脱する」
そんなとっておきの曲も紹介しています。
そして伝説のスピーチ、
この記事を読んだ後に聴くといかに世間がそれを曲解しているかわかるはずです。
やりたいことをやろうなんて言っていないんです。
 

1、「やりたいことをやればいい」という言葉は人生の指針にするには曖昧すぎ

 
よく人生論について
「やりたいことをやればいい」
というのをきくと思います。
 
僕はこの言葉が
ずっと前から気になっていたんです。
それはもちろん
「やりたいこと」
というのがあまりにも漠然としているからです。
 
それは
「今やっていて楽しいこと」なのでしょうか?
それとも
「ゆくゆくやりたいこと」なのでしょうか?
この言葉を聞いて想像することは
人それぞれでしょう。
 
曖昧すぎて人生の指針にはならない言葉だと
昔から思っていたのですが
最近やっぱりこの言葉に従って生きると
人生を台無しにする
という思いを強くしました。
 

やりたいことと一言でいっても二つ意味がある

 
僕はやりたいことと一言でいっても基本的に二つの意味があると思っています。
 
一つは単純に今やってて楽しいこと、夢中で出来たり快感を覚えるようなこと。
自動的に自分がやってしまうようなことですね。
たとえばそれはある人にとってはピアノかもしれませんし
ある人にとってはネットサーフィンかもしれません。
 
これに関しては別に何も思わずともほっておけば勝手にやってしまうことですから特に自分をコントロールする必要もありません。
 
もう一つは自分が死ぬまでには必ず成し遂げたいこと。
いわばまだ死ぬわけにはいかない理由です。
 
誰にも自分が生きているうちに一度は成し遂げたいことや行きたい場所というものがあるのではないでしょうか。
僕にとっては世界一周がその一つです。
せっかく地球に生まれたのに世界中の景色や町並みを見ずに死んでしまうのはとてももったいないですよね。
 
この二つ目の自分が死ぬまでに成し遂げたいこと
これを成し遂げる過程ではやってても特に楽しくないようなこと
つまらない単純作業
こういうことが必要となってくることが多いです。
一つ目のほっておいても自分がやることと違って
自分の意志で行動に向かわせなくてはならないことなわけです。
 
ほんとうにやりたいこととは二つ目の自分が死ぬわけにはいかない理由のことである
 
僕はほんとうにやりたいことをやればいいというときほんとうにやりたいことというのは二つ目として書いた
自分が死ぬわけにはいかない理由、自分が生きている間にどうしてもやらずには終われないこと
これを指していると思っています。
 
ほんとうに自分にとって大事なことというのは
自分がいつか死ぬという事実
自分が自分として生きる人生は一度しかないという事実
これに向き合わないと見えてきません。
 
これは自分の命をかけてもしたいことだろうか
こう自分に問いかけてみましょう。
そうすれば自分がほんとうにやりたいこと、目指したいことというのが
おのずと見えてくるはずです。
 
 自分を知ることから始めたいという人は
以下の記事の「天職を知るワーク」というのをやってみてください。
自由力の中では「内観的自由力」を向上させるワークにあたりますが
自分の人生の方向性を知る上でやっていて損はありません。
 

2、「やりたいことをやればいい」が誰でもできる楽なことに走らせる

 
「やりたい」という言葉は言い換えれば
「なんらかの自分の欲求を満たしたい」
という風にいうことができるでしょう。
 
別に僕はここで欲求を批判して
人類は無欲になるべきだ
ということを言いたいわけではありません。
 
そうではなくて
「やりたいことをやればいい」
ということをいったときに
それがさしているのはどんな欲求なのか
ということを今一度考えてみることが大事なんじゃないか
と言いたいんです。
 
僕がもっとも尊敬する心理学者であるマズローは
人間の欲求を五段階(厳密には6段階)に分けました。
 
下から
生理的欲求
→安全欲求
→所属と愛の欲求
→承認欲求
→自己実現欲求
→自己超越欲求
という順に
人間の満たす欲求も進化していくという風に唱えたわけです。
 
でこのマズローの欲求段階説を発展させて
もっとも幸福になるためにはどんな方向性で僕らが生きるべきか
ということについて語った記事もぜひ読んで欲しいのですが
 
今日はそれは置いておきます。
 
なぜこのマズローの欲求段階説を
僕がこの記事で出したかといえば
多くの人が
「やりたいことをやればいい」
という言葉に踊らされて
 
生理的欲求(本能的欲求)
所属と愛の欲求(人とつながりたい欲求)
という低次の欲求を満たすことに
苦心しているように思えるからです。
 
いってみれば「楽なこと」です。
で精神論で「楽はいけない!」と言いたいわけではなくて
楽ばかりしていると結局つまらない人生になる
というのが僕が次に言いたいことです。
 
多くの人が結果として行動レベルに言えば勘違いしていますが
やりたいことをやればいいというのは決して
楽をすればいいというわけではありません。
このような勘違いは「ほんとうにやりたいこと」というのを
一つ目の意味として捉えてしまっていることから生じます。
 
やりたいことというのは自分を意志で強制したりなんらかの矯正を行わなくても
自動的に行えるものではありません。
 
それでは僕たちは
眠気がなくなるまで寝て
食べる気がなくなるまで食べて
空いた時間には楽なネットサーフィンやツイッターを
やっていればいいということになるでしょう。
 
そのような人はどのような未来にたどり着くでしょうか。
それは人に働かされ、人のしたいことのために使われ、人のいうことに従わざるを得ないような状況。
いたって不自由な未来でしょう。
 
ほんとうにやりたいことをやればいいというのは
きっとほんとうに自分が死ぬまでに成し遂げたいと思っていることに
向かえばいいという意味です。
そのためには
惰眠を貪らないように自分を律し
ネットサーフィンに時間をとかさないように自分を監視し
成し遂げたいことを見失わないように工夫する
そういった自分にかける自分からの強制力が必要なんです。
 

3、楽なことばかりした先にある「誰でも生きられる他人の人生」

 
楽にばかり走っていると
べつに自分の才能を磨いたりすることがなくなります。
楽なことというのは
いってみれば
「誰でもできること」です。
 
生理的欲求の中の食欲を満たすために食べ物を食らうことは
誰でもできますし
人とつながりたい欲求を満たすためにSNSのTLを遡ることも
誰でもできます。
 
その結果どうなるか。
ぼくはこう考えます。
誰でもできることばかりしている結果
自分だからできることがほとんどできずに
「べつに自分じゃなくてもいいじゃんという感覚」
つまり自分が生きている意義が感じられない
そんな状態に陥ると。
 
いつでも誰とでも取り替えが効く
そんな人間になっていくと
生きている必然性を探すことも
難しくなってしまいます。
 

4、ビジネスで単純作業を続けることが致命傷である理由から有意義な生き方が垣間見得る

 
ぼくは情報発信を教えたり
こうやって情報を発信することで
人の役に立ってその代わりにお金をもらうということをしているわけですが
最近そのビジネスをうまく楽しく回す黄金律とも言える
一つのサイクルに思い至りました。
それは以下のようなものです。
 
じぶんだからできる情報発信
→希少価値が高い
→付加価値が高い
→マネタイズ効率がいい(薄利多売ではなく濃利小売で集客に頼らずに済む)
→じぶんだからできる発信だから充実感があり捗る
→ビジネスとして成功
→PC一台で食えて自由だし
じぶんだからできることで人に貢献している感覚があって充実感のある人生
→さらに勉強も捗りじぶんだからできる情報発信も捗る
 
つまりビジネスでいっても
「自分だからできることをすること」こそ
自分が富むための
さらにいえばビジネスに充実感を持つための
重要な原則なんです。
 
他の人ができる単純作業を
人やツールに任せる
自動化するというのは
 
「まあやってもいいこと」
なんて重要度ではなく
「自分だからできることをやる時間を捻出するために
絶対にやらなければならないこと」
なわけです。
 
これは人生においても同じことがいえるのではないでしょうか。
つまり
 
自分以外にもできることは他の人間に任せて
自分だからできることを
面倒でもしていくことで
自分がこの世にいる意義が明確になる。
つまり人生が充実していく。
ということです。
 

5、なんだって最初は「やりたくない」

 
これは脳科学でも証明されていることですが
何事も
「行動した後にやる気が出る」そうです。
 
つまりやる気が出るまでやらなければ
「やりたいことだけやればいい」というのに従っていれば
結局何もできないということです。
 
数々の名作ジブリ作品を作ってきた宮崎駿監督は
いつもあーめんどくさいめんどくさいと言いながら
作業をするのが癖だそうです。笑
 
彼はやりたくて
映画を作ってるわけじゃないということですね。
じゃあなぜ彼が映画を撮るかといえば
「意義があること」と思っているから。
もっといえば
「それが自分だからできることであり
世界のために自分がしなくてはならないことだ」
と思っているからではないでしょうか。
 
おそらく彼は創作中つらいでしょうが
それでも充実しているのではないでしょうか。
 
めんどくさいと思っても
やりたくないと思っても
それが自分だからできることならやる
それが世界のために自分だからできる貢献だと思ったらやる。
 
ぼくも今この文章を多少「めんどくさ」と思いながら書いていますが
 
「やりたいことより
自分だからできることをやろう」
 
という考え方は
皆が個性を活かし
それぞれ充実した人生を送るために世に出さなくてはならない考え方だと思っているから
今この文章を書いています。
 
つまり自由には責任が伴うってやつです。
ほっとかれたら昼間すぎまで寝ている(僕もむかしはそんな感じでしたが‥)
そんな人間にほんとうにやりたいことをやる人生は送ることができないということです。
僕が上でいった二つ目が「ほんとうにやりたいこと」であるならば
一つ目の今やってて楽しいというか楽なこと
たとえばSNSでTLを遡るとか
友達とやたらめったら飲みの予定を入れるとか
そういうことはある程度自分を律して放棄しなければいけない場面も出てきます。
 
巷の成功哲学や幸福論は
ほんとうにやりたいことをやればいい というのを
あたかも誰にでもできる楽なことであるように綴っていますが
明らかにこれは実態とはかけ離れています。
結局そう書かれているのは
そう書いた方が評判がいいし、売れて儲かるからです。笑
 
そういう戯言に惑わされないように
僕たちはほんとうに自由になるために必要な自己管理能力を身につけていきましょう。
自己管理能力というのは自由になるためにもっとも必要な技術の一つですし
自由になってからもこの自己管理能力がなければ破滅してしまいかねません。
 
この自己管理能力が僕が
「行動的自由力」
という技術として定義しているものですが
自由だろうが自由じゃなかろうがこれがない人には充実した人生はないでしょう。

6、自分で食っていかなきゃいけないことの意味

 
大富豪の家に生まれたごくごく一部の人間でもない限り
人はみんあゆくゆくは自分で食っていかなきゃいけません。
それはどういうことかといえばつまり
「人は誰かになんらかの形で貢献することを義務づけられている」
ということでしょう。
お金は貢献の対価であるわけですから。
 
でこの貢献の付加価値が
自分だからできることであればあるほど
希少価値が高い≒付加価値が高い
仕事として充実感があり
それが自分が生きていることの意義にもつながる。
それが僕の考えです。
 
誰でも
ゆくゆくはロボットでもできるような専門性が低い仕事をして
なぜ自分がそれをやっているのかもわからない日々を送る人と
自分だからできる
そんな自分の感性を生かした仕事をする人
その仕事が誇れる人
比べたときに人生が充実しているのは
後者であることは間違いないでしょう。
 
結局人の役に立たなきゃいけないんだから
仕事しなきゃいけないんだから
どうせなら自分だからできる仕事を創ろう
その方が楽しいから
ということですね。
 
そもそも現代人は人とつながるということばかりで
「実際のところ自分に何が向いているのか」
ということをほとんど考えていません。
 
だからこそ僕はビジネスを教えるときにしても何にしても
「内観的自由力」
という根本的に自分の向き不向きや経験について知る技術を高めることを
何より第一においています。
 
それがなければ、
情報発信ビジネスにしても仕事選びにしても始まらないんです。
 

7、じゃあ自分だからできることがない人は?

 
とはいっても
「そんな自分だからできることなんてねえよ」
「誰でもできることしかできねえよ」
という人もいると思います。
 
僕のこの記事だって
「ほんとに自分にしかできないことか?」
と言われれば
もちろんうなづくことはできません。
 
でもここで僕がおもうのは
「自分だからできることは
自分にしかできないこととは違う」
ということです。
 
自分にしかできないこと
それがある人なんてこの世にほとんどいないでしょう。
相当な専門性がなきゃそれはできないし
この世には何十億人もいるわけですから。
つまりそれがないのは当たり前です。
 
そうではなくて自分だからできることというのは
「自分という人間の特徴を生かせること」
だと思うんです。
 
特徴というのはつまり
ここが得意だとか
ここが好きだとか
ここが苦手だとか
ここが不得意だとか。
こんなことが今まであったとか
こんな思いをしたとか
そういう自分固有の性質や体験ですね。
 
自分にしかできないことがないのは当たり前ですが
自分だからできることの種は
誰でも持ってるはずです。
 
自分だからできることがないという人は
多少きびしいことを言いますがそれを磨けばいい。
自分の才能を努力して磨き
好きなことがあるならとことんそれを追求して
人の役に立つくらいまで
「専門性」を高めるのが
きっと人生を充実させるための道です。
 
自分の才能や
苦手なことや
これまであったことを振り返って
「じゃあ自分はどこで人の役に立つべきなのか」
ということを考えてみれば
自分が磨くべき分野がきっと見つかるのではないでしょうか。
 

8、それぞれの可能性はもっと大きい

 
やりたいことをやればいいという言葉に踊らされて
いかに多くの人が
呑んだくれ
人と馴れ合い
その結果自分の可能性をろくに活かせず
名もなき人として死んでいったのか
それを考えると僕はこの言葉に怒りさえ感じます。
 
それは僕が
「人間の可能性は
それぞれが思っているより何倍も大きい」
と信じているからでもあります。
 
そしてそれぞれがそれぞれの個性を活かし
違いを認め合い
それぞれだからできる貢献を世界に対して果たしていくのが
世界がもっとも幸福になる未来だと思っているからです。
 
もしあなたが
自分なんてと思っているなら
そんな考えは是非捨ててほしい。
 
「やりたいことをやれ」なんて言葉に
人生を台無しにされることなく
自分だからできることを磨いていこう。
そうすれば人生はきっと楽しくなる。
それがこの記事で僕が伝えたいことです。
 
もしあなたがこの記事を読んで
自分だからできることに気づき
それを高め、
 
自分だからできることで人の役に立てる
「天職」で
人生を充実させてくれたなら
これほど嬉しいことはありません。
 
僕自身もっと自分だからできる情報発信を磨いて
人生を充実させて行こうと考えていますし、
 
 
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それではまた。
 

改めて聴く世間が誤解する伝説のスピーチ

 
 世間が曲解している伝説のスピーチ。
この記事を読んでから
改めて聴くとどこが世間が曲解しているところなのかわかるはずです。
 
 
やりたいけど面倒なこと。
そんなことってよくありますよね。
 
でそんなときに
「これはやりたくないことなんだ」
そんな風に認識してやらなかったら、
人生はどんどんやりたくないことをで埋め尽くされていってしまいます。
 
面倒なこととやりたくないこと、
これを分けるってほんとうに大事なことだと思うんです。
 
今日はそんなときにききたい曲。
いわば面倒という感情がなくなるような曲です。
 
 
 
これを聴きながら
「自分がやろうとしないことはほんとうにやりたくないことなのか?
ほんとうは面倒なだけじゃないのか?
そう問いかけてみてください。
 
 
 

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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