選ぶ側と選ばれる側の違いってなんだろう

お疲れ様です。

今日は選ぶ側と選ばれる側の違いについてです。

別に選ぶ側になるにはこうしろよという話ではなく、

僕も誰かや何かに選ばれない経験を幾度となく繰り返してきて、

選ぶ側と選ばれる側の違いって一体なんだろう、ということが頭の片隅にずっとあったので記事にしてみました。

選ぶんだと気負っていたら選べない

珍しく冒頭近況報告をすると
ジャズはじめ色々力が抜けるような曲ばかり聴いて
遊ぶように仕事をするためにどうするかということを考えている近頃です。
力が抜けすぎるといいものはつくれないし
力みすぎるとやること自体がつまらなくなるし
その塩梅が難しいですね。
ということで追伸では力が抜けすぎたときの音声も紹介しています。

僕は昔から
「縛られない生活がしたい」
という思いが強くて
それをモチベーションに大抵のことを頑張ってきたという節があるんですが、
縛られる縛られないというのは
もちろん時間的空間的なことに限らないですよね。

何かを懸命に目指しているとき
それは目標に縛られているわけですし、
眉間に力を入れてしかめっ面で打った文章というのは
どうしても硬く読みづらいものになりがちです。
仕事は仕事、遊びは遊び、
そんな風なスタンスをメリハリがついているといえば聞こえはいいですが
悪く言えば仕事という枠にとらわれているわけですね。

つまりほんとうの意味で自由になりたければ
仕事は労働=遊びみたいに楽しいことじゃない
という思い込みをすてる必要があって
つまりどれだけ遊べるか
遊んでいるような心持ちでできるか。
ということが縛られない生活をするために間違いなく大切なわけですね。

まあ僕自身力が入りがちな人間です。
kimamanというペンネームを使っているのも
そういう自戒を込めているようなところがあります。笑

ということでちょっと前置きが長くなりましたが
今日は
「選ぶ側の人間と選ばれない側の人間をわけているのはなんなのか」
というテーマで書きます。

とはいえ
「選ばれる側から脱して選ぶ側になろう。」
ということが言いたいわけではないんですね。

冒頭の話を踏まえると
理想をいえば選びも選ばれもしない人間。
つまり一人で十全に遊んでいるような、満たされているような人間。
それがいいですよね。

僕にもありがちなことなんですけど
「自分で選ぶんだ!」
「やるんだ!」
そんな感じで目指していると息が詰まって長くは続きません。笑

そんな力を入れてやるよりも
「まあそれなりにやってあとは神頼みですわ。」
そのくらいの方が長期的には続くんですよね。

galileo galileiというバンドのコウモリとモグラという曲の詞に
「気負わない程度に真面目にやっても構わないだろ?」
というものがありますが
その通りって感じです。

でも実際問題
この世の中では
うーんと選ぶ側の人間。
そして選ばれるように精一杯やる人間。
この二つの立場が存在しているのは確かです。

僕は理想は好きです。
走らなくても歩いていれば十分理想にたどり着くと信じています。
しかしきれいごとは嫌いです。
きれいごとというのは現実にはそうではないのに
現実を曲解して安心することです。
正確に現在地を把握しないことには理想への道筋も定まりません。

ということでやっとのことで
選ぶ側の人間と選ばれる側の人間で何が違うのか
という本題に入ります。笑

選ぶ側と選ばれる側の違いとは

結論からいってしまいます。
それは
「希少価値」です。

どれだけ希少なのか
どれだけ替わりが少ないのか。
そういうところです。

まあ当たり前の話ですよね。

選ばれるために苦戦しなくてはいけないのは
同じくらい選ばれる可能性がある人がたくさんいるからです。
誰かがが選ぶ側に立てるとしたら
その人がなかなか替えの効かない人間であるがゆえに
その人が欲しい人が殺到しているからです。

僕の発信のコンセプトとしても
以下のサイクル
自分だからできる度合いが高い
=希少価値が高い
≒付加価値が高い
=貢献効率がいい
=馬車ウマのように時間ありきで働く必要がない
かつ
自分だからできることだから充実感がある
=自分だからできること磨きが捗る
→自分だからできる度合い高い

というものを常々かかげているわけですが、
それは僕がそのサイクルを加速させれば人生が楽しくもなるという風に確信ているということが理由でもありますが、

それ以上に
希少価値をあげれば選ばれるために頭を下げずに済むから
別の言い方をすれば自由だから。
ということなんですね。

日本のことわざというか慣用句というかで僕が一番
「いやほんとその通りだわ」
と思っているものに
「楽しみたければ楽するな」
というものがあります。

楽をしていて
SNSのTLばかり追っていて
上がる希少価値なんてものはどこにもありません。

そりゃ僕だって楽したいですよ。笑
ただ寝て食ってても楽しければそうしたいです。

でも実際はそんな自分の希少価値も高くならないような人生に
自由が生まれるようなことはまずありません。

「楽しくやろう、苦労するのはやめよう」の罠

最近は
「楽しくやろう。苦労するのはやめよう。」
みたいなno pain no gainを否定するような話が
万人の楽したいという願望を刺激するからか流行りです。

でここで「そんな上手い話ないっすよ。」
で終わるとただの精神論で終わりなので
少しもったいぶったことをいうと
半分賛成するけど半分反対。
僕はこの言葉に対してそういうスタンスです。

どういうことかといえば
確かに才能がないところで苦労して努力するのは
時間の無駄です。
別の言い方をすれば人生を楽しむために自分の希少価値を上げるにあたって
効率が悪いです。

そういう意味で
楽をしよう。というのはくだらない話だと思いつつ
より楽をしちゃえるところに行こうという風には思うんですね。

たとえば僕は昔うつ病になったとき
サッカーに日々のほとんどを費やしていたわけですが、
瞬発力という才能がなかったので
希少価値を上げるのに相当に効率が悪かったわけです。

それに比べて「文章を書く」という行為には
僕は幾分か才能があるみたいです。
少なくとも何千という文字を書くのが苦だったことはほとんどありません。
好きで苦もなくやれるというのは
「より楽に希少価値をあげられる」
ということですね。
だから僕は文章を書いているわけです。

でもさっきも言ったように
「完全に楽をしている」
というわけではありません。

完全に楽をしていたら
僕は踏ん反り返って寝て食べて寝て食べて
ということを繰り返していることでしょう。
まあより力を抜くためにふんぞりかえって文章をかいていることは
多々あるにしてもです。

ちょっと何が言いたいかわからなくなってきたので、笑
ここで一旦話をまとめると
「より楽をできる分野に進もう。
だけどそこで楽をして希少価値を高めるのを怠っていると
人生がどんどん不自由で充実しないものになっていく。」
ということですね。

とりあえず頑張ろうは人生を台無しにする

世の中では
「とりあえず頑張ること」
そんなことばかりが正当化されます。
でもそういう精神論のどんなところが的外れかといえば
「一人一人の得意不得意」
いわば違いというものを全く持って考慮していないところです。

いつも思っていますが
頑張ることなんかより
それがほんとうに頑張るに値するか考えることの方がよほど大事です。
そういうことを考えないでとりあえず頑張っていると
15の頃の僕のように
「どうしてこんなに頑張っているのに」
という事態に陥ってしまってうつ病になったりします。笑

なんかこれだけは特に頑張らなくても人よりできちゃう。
なんかこれだけは長時間やっていても努力している感覚がない。
むしろその分野なら遊んでいる感覚ばかり大きい。
そういうことが一つくらいは誰にもあると思います。

そういうより楽をできるような文野を大切にしましょう。
でその分野で楽をせずに希少価値をあげていきましょう。
そういうことをしていれば
いつのまにかこちらが何もしなくても
そこらじゅうから
「あなたが必要です。」
という風に言われるようになっているでしょう。

進化自体も楽しいですし
進化の先だってムフフという感じです。
僕らはまだまだ途上です。

遊んでいる感覚がある場所で楽をせずに遊んでいれば
どんどんそれが希少価値として大きくなっていって
その先で仕事と遊びの境目がない。
そんな状況も生まれていることでしょう。

そのときこそ、
仕事が労働でなくなっていた瞬間こそ
僕らが何にも縛られていない瞬間といえるのではないでしょうか。

ということで今日はこのくらいにしておきます。
ではまた。bb

PS.力が抜けすぎたとき用の音声

力が抜けすぎるとどうなるか。
もちろん何もやる気がしなくなってきますね。笑

楽だけしていたいと思ってしまう時期。
そんな自分の中の怠惰なだけの精神を戒めてくれるのは
やはりイチローです。

https://www.youtube.com/watch?v=TvCfyjHSwFE

楽したいけど楽はしない。
楽しくなくなるから。
そんなイチローの生き様が現れている音声です。

この音声を聴きつつ、
BGMに力の抜けるジャズミュージックを。
なんてのもいいかもしれません。

ということで聴いてみてくださいね。
ではまた。bb

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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