「意識高い系」という言葉の流行から時代の特徴を見る

お疲れ様です。今日も力まず人生をよりよくしていきましょう。

内面的な悩みの解決についての連載の一部です。連載の他の記事は以下を。

http://kimaman.info/zinnseisoudannrennsaimatome/

前回、
ぶっちゃけた話ができないという孤独の原因は
周りにいる人が僕らの周りにいる人とつながっていることからきている。

別の言い方をすれば
「相談相手が自分と濃くつながりがある人しかいない」
というところからきているという話をしたわけですが、

だからといってつながりが薄ければ全部ぶっちゃけられて
かつ有意義な人生相談ができるわけではなくて、

相手が僕らのことを全く知らないままだと
結局人生論を指南する本や記事のように
「誰にでも応用が効く抽象論を話すしか無くなる」
だからそういう本や記事というのはどこか他人事のように響く。
という話しをしました。

その場限りの満足で終わらずに
ほんとうにぶっちゃけながら人生が変わるくらいの人生相談をするには
相手が全てをぶっちゃけても問題ないくらい薄いつながりしか持っていないこと。

そしてそれに加えて
相手が僕らがどこで悩んでいるのか具体的に把握していること。
そのリアルで両立しがたい(見知らぬ街の人生相談くらいなら成立するかもしれませんが)二つが両立して初めて、
ほんとに僕らの人生の歴史に残るくらい有意義な人生相談が成立するという結論を立てました。

今日は少し人生相談からテーマを逸れて、
「意識高い系」という言葉がこの時代を象徴しているということ。
「意識高い系」がなぜ「意識高い系」として馬鹿にされがちなのか
という話をしたいと思います。

最近は力の抜ける曲を紹介していますし、
僕自身力を抜いて何事もやることに取り組んでいるわけですが、
今日も世界的に天才と言われている人の一曲を最後に紹介します。
レディガガとは対極を行くような音楽です。
(僕はああいう欲望の塊みたいな音楽は好きません。いくらメガヒットでも。)

そもそも意識高い系という言葉をご存知でしょうか。

おそらく相当ポピュラーな言葉なので
若い人で知らない人はほとんどいないと思いますが、
意識高い系というのはたとえば
「成長!就活!
今日は起業したいコミュニティのパーティーに行ってきた!」
みたいな人のことです。

詳しくどんな人か今一度確認したい人は以下の記事をお読みください。
死ぬ前に後悔すること第一位

まあ簡単にいえば
1.やたらと学生団体を立ち上げようとする
2.やたらとプロフィールを「盛る」
3.全ては自己アピール、質問が長い
4.ソーシャルメディアで意識の高い発言を連発
5.人脈をやたらと自慢、そして利用する
6.やたらと前のめりの学生生活を送る
7.人を見下す
こういう感じの人のことを指すらしいです。

で別に今日はそういう人を否定したいわけではなくて、
なぜこの
「意識高い系」
という言葉が流行っているのか
というところから
この時代の特徴を見出したいと思います。

ここでちょっと考えてみたいんですけど
こういう
「意識高い系」
という感じの人って
最近になってから現れたんでしょうか?

それはないですよね。

昔から人脈づくりばかりやっている人はいただろうし
昔から大学時代に学生団体をやたら立ち上げたがる人もいたでしょう。
でも近年になってそういう人を揶揄する言葉として
「意識高い系」
という言葉がはやるようになった。

ここにれっきとした時代の変化があると思う訳です。

どのような変化か。

それを知るためにはまず
これまでがどんな時代だったかといことを今一度考えてみましょう。
これまでの日本がどんな時代だったか。
時代を高度経済成長まで遡ってみましょう。
1960年代の社会です。

この時代は「高度経済成長」というだけあって
日本のGDPが急速に成長した時代です。

それぞれがそれぞれの分野で
死ぬほど働いた。
その結果として戦争で敗北した日本は
ありえないくらいの経済成長を遂げた。
そんな風に古き良き時代として語られるわけです。

逆に現代は
「失われた20年」だとか、
そんな風に言われてますね。

確かにこの何年か
日本のGDPはほとんど成長してません。
「若者も野心を失っている。」
「草食系男子が増えた」
そんな風に積極性を欠いていることが嘆かれるわけですが、

ここで今一度
「成長」という言葉について考えてみたいんです。

日本にとって、
1960年代は古き良き時代
現代は失われた時代
そんな風に言われる理由があるとしたらそれは当たり前に
古き良き時代は成長していたが
現代はほとんど成長していないから。

それがもっとも大きな理由ですね。

でもここで
僕が人生論から何からなにまで考えるときに
かなり大切にしている一つの問いをなげかけます。

それは
「僕らが成長していればそれはよいことなのか。
成長は無条件によいことなのか。」
という問いかけです。

経済が成長することを一刀両断にいいことということはできない。
公害やらなにやら
いろいろ発生したじゃないかと。
‥そんなことが言いたいわけではなくて、

そもそも「成長」という言葉自体が
なにがよくてなにが悪いのか
そういう価値判断を含んでいるということを言いたいんです。

成長というのは
マイナスの状態からよりプラスの状態に移行することですよね。

ということはそこに
「なにがマイナスでなにがプラスなのか。
なにがよいことなのか。」
という価値判断がすでに含まれているということになります。
それがなければマイナスもプラスも定義できませんからね。

つまり他人にとっての成長が
自分にとっては退化
そんなことが当たり前にあり得るということです。

そしてそのよきことを
「より大きな経済」
においたとき
経済成長をしていた時代はよき時代ということになり
GDPが一向に伸びないという日本の現代は失われた時代ということになるわけです。

でもそういう価値観に対するクエスションマークは
明らかにところどころで大きくなっています。

積極性を欠く草食系男子
野心を持たない若者達
そういう人が多くなっていることは間違いなく
「そもそもなにを目指せばいいのかわからない」
そういう時代が到来しているからです。

高度経済成長期にはその疑問がありませんでした。
企業はより金銭的な利益を追求することに没頭し
一人一人はより多くの年収を得ることに走り、
より豪華な食事、
豪華なものを身につけることに走り
そういうことに対して疑問を抱く人はほとんどいませんでした。

目標に対する疑念がなかったからこそ
目標に対して突っ走ることができたということです。

でも現代は違うんです。
そもそも
「ゴールがなんなのか」
「それがゴールである理由はなんなのか」
そういうことが常に問われている時代です。

で話がやっと戻りますが
それがそのまま
「意識高い系」という言葉が流行っている訳だという風に思うんです。

人脈づくりばかりに励んでいる。
学生団体を立ち上げればいいと思っている。

そういう意識高い系を象徴する特徴はまとめていえば
「ゴールがほんとうにそれでいいのかということをろくに考えていない」
ということになります。

まあそもそもゴールがなんなのかということをろくに考えずに
人脈づくりや学生団体づくりという
「それらしい解決策」を採用している。

それが浅はかに見えてきたから「意識高い系」という言葉が流行っている。

ゴールがそれでいいのか
そういうことが時代の焦点になったからこそ
そういう意識を欠いている人が
前時代的なことにとらわれている人だったり
周りになんの理念もなく従っている人だと思わているわけです。

これは情報発信ビジネスに関しても言うことができます。

というよりビジネス全般に関していうことができます。

企業がどのようなところで評価されるかといえば
その企業がどれだけ利益を出しているかということではなくなってきています。
その年の売り上げが大きかったり
成長していたりする企業が支持される時代ではなくなってきている。

この時代問われているのは
どんな活動をしているかというwhatではなくて
その活動をなぜしているのかというwhyの部分です。

俗にいう社会的意義の部分です。

逆にそのwhyに共感を集めることができれば
クラウドファンディングなどでお金が集まって
その人がやりたいことができたりします。

僕が情報発信を教えるときにまず何よりも
コンセプトを練る
という抽象的な部分を何よりも大事にしているのは
whyに共感を集められなければ結局情報発信も先細りだからです。

成功とはなんなのか。
目指すべきはなんなのか。

僕も昔からそういうことを
常日頃考えて育ったわけですが、

そんな言葉として言語化していなくてもなんとなく
たとえば
「仕事論関係の本を読んでもピンとこない」
だとか
「成功者という言葉を聴いてもどこかしら他人行儀に響く」
だとか
「自己啓発という言葉になんとなく嫌な感じがする」
だとか

そういう違和感の元をたどれば

この時代が感じていることと同じ
つまり
「目標への手段を知ったり考えたりする前に
そもそも何が目標なのかということについて考えたい」
という風に思っているということではないでしょうか。

「もっと生き方について考えたい」
と思っているということは言い方をかえれば
「ゴールを目指す前に何がゴールとして正解なのかわからない」
ということでもあります。

僕がそういう人に対して提供したいと思っているのは
「ほら、これが正解だよ」
という絶対的な一つの解ではありません。

そうではなくて、
それぞれが自分の生き方について
何が目標なのかということについて考えられる。
そのために建設的にぶっちゃけて議論できる場です。

言い方を変えれば
五つの自由力のうちの内観的自由力を進化する場
ということになります。
そして僕はそれがこの時代この社会にとって必要な場だと思った。

だから人生相談コミュニティという形で
それを立ち上げることにしました。

仕事論とか成功論とか以前に
そもそももっと考えることがある気がする。
自分のやっていることにエネルギーが入らない。

そういう状況にあるなら
それはあなたが悪いのではなくて
そもそも僕らがそういう時代にいるからというだけの話です。

今まで絶対的とされてきた答えが崩壊しつつある。
そういう時代です。

この文章があなたを死ぬ前に後悔しない人生へと近づけられていれば本望です。
それではまた次回。bb

PS.カリフォルニアが生んだ天才シンガー

天才と聴いて何を思い浮かべますか?
あるいは誰を思い浮かべますか?

アインシュタイン
ゲーテ
ノイマン
天才と呼ばれる人は無数にいるわけですが、

僕が天才と聴いて思い浮かべるのは
jason mrazですね。
make it mine/jason mraz
https://www.youtube.com/watch?v=_r2CwihdLkc

たとえば天才というと
うつらうつらしながらも問題を一瞬で解いてしまうとか
ぼーっとしているけど集中力がすごいとか
そういうイメージだと思うんですけど

彼らがなぜそんな風に
力の抜けた状態を保てるかといえば
「結果に執着していないから」
なんですね。

仏教でも執着こそが苦しみの根源ということはよくいわれるわけですが、

執着こそが人が天才になれない理由なんです。

執着があるから
「やらなきゃ」
という思いに苛まれて
力が入ってしまうし自由な発想から遠ざかってしまう。

独特な発見やこれまで人が考えたことがなかったことは
目標へ一直線に続く道の上にあるわけではなく
寄り道をしたところにあります。

研究で他の分野の話を聴いていたら自分の研究についてひらめいた。なんてことはよくある話ですね。

逆にいえばそういう寄り道ができない人は
基本的に今まで多くの人がたどった道をたどるわけで
新しい発想をすることがほとんどありません。

つまりほんとうに何かでかいことをやりたければ
寄り道をしなきゃいけない。
急いではいけない。

で今日紹介するjason mraz
彼は急がず焦らず力まずの典型みたいな人です。

なにせ歌手になったきっかけが
運転手をしていて朝起きれなかったことですからね。笑

ということで僕みたいに日々力みがちな人にこそ
この人の曲は聴いてほしいですね。

特に今日紹介したmake it mineは
「結局僕は全てを手にするんだ」
そんな風に力まずに不安や焦りを捨てられるような曲です。

では今日はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございます。

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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