「メンヘラ」という言葉への怒りの対局を行く伝説の一枚

今日は雑感というかコラム的な内容です。
強いていえば特に生き方についての内観的自由力とか
感情コントロールについての内面的自由力ということになると思います。

内面的な悩みの解決についての連載の一部です。連載の他の記事は以下を。

http://kimaman.info/zinnseisoudannrennsaimatome/

みなさんはメンヘラという言葉を聴いたことがありますか?
おそらくめちゃくちゃポピュラーな言葉なので
九割以上の人が聴いたことがあると思います。

で今日はこの言葉に対する
僕の怒りというか
無数の人の意見を代弁するつもりで
今日は思いをつらつらと書いていきます。

そんな言葉と裏腹に軽く飛び跳ねる自由なアルバムも
最後に一枚紹介しておきます。
最近僕が作業中によく聴いているものですね。

「メンヘラ」という言葉が孤独を生んでいる

メンヘラというのはメンタルヘルスがなってない状態または人を表す言葉で
ものすごく落ち込んでいる人だったりすぐ落ち込む人に対して使われる言葉なわけですが、

で僕自身、15のときに気分障害(鬱病の一種)になったくらいなので、笑
かなり感情の起伏は激しい方です。
今でも結構頻繁にほんとに死にたくなったりします。

僕が15のときはこの「メンヘラ」という言葉はまだ流行ってませんでしたが、
僕は昔から周りに
「すぐ鬱になるよね。」
みたいなことを言われてきたわけです。

今となってはメンヘラという言葉、そこら中で耳にしますよね。

で題名通り僕はこの「メンヘラ」という言葉が
めちゃくちゃ嫌いなんですね。
ほんとうに死ぬほど嫌いです。

社会では強くあることばかりが賞賛されます。
それは特に男性に対して顕著です。
少しへなへなしていると
SNSで辛い思いを吐露したりするとすぐに
「男らしくない」
みたいなことがいわれまね。

だいたい男らしさなんて知らんわ笑という話です。
すべての男性は男である前に人間だろという話です。

で、ちょっと話がそれましたが
この「メンヘラ」というレッテルを貼ることが流行っているせいで
一体どれだけの人が
自分の辛い思いを誰にも言えずに
自分一人で抱えてしまっているか。

まあ僕が
「メンヘラ」というレッテルを貼られるのが嫌で
辛い気持ちを飲み込んでしまうタイプの人間で
一人で抱える辛さがのっぴきならないところまでくることがあるから
この言葉に対して大きく問題意識を持っているのかもしれませんが、笑

とにかく現代では周りの人に
うかつに自分の心情を吐露できない
というのは間違いないでしょう。

感情を押し殺して
何もいわずにただ頑張ることが善とされている。
僕はそんなのは自分に嘘をついて生きることで
正しいなんて到底言えない話だと思います。

しかもうかつに周りに話せないのは
辛いことや不安なことだけではありません。
それはただの人生相談についても同じです。

メンヘラとまあ似た部類の言葉に
「重い」
という言葉がありますね。

主に恋愛場面で使われる言葉ですが、
他にも「深く考えすぎる」という意味で使われたりします。

この「考えすぎ」という言葉もほんとうに嫌いです。
世の中に考えすぎで解決することなんて一つもないでしょう。

そもそも考えすぎだよと言われて
「確かに」
で終われる人間は最初から考えていません。
アドバイスとして最悪ですね。

でちょっと話がそれましたが
一度
「人生ってなんなんだろう」
「生きる意味とか目的ってなんなんだろう」
そういう言葉を吐いてしまうと
世間ではどんな風に言われるか。

別に悩んでいたりほんとうに悲しんでいたりしなくても
そんなことを考えるのは重いだとか
いわれてしまうわけです。

別に僕にとっては昔から
人生の意味とか目的について考えるのは日常でした。
人生の調子がいいときでも悪いときでも
人生の方向性を決めるにはそういう根本的な問いが不可欠でしょう。
逆にそういう問いなしでどうやって人生を進めるのという感じです。

なのに世間ではそういう問いを考えることが
あたかも人生の調子が悪いということと同義とされている。

だからみんな
「人生に正解なんてない」
なんて言葉で納得できていなくてもとりあえず棚に上げながら
「これでいいんだろうか」
という思いにどこかで苛まれ続けている。
僕にはそんな風に思えてなりません。

人生論というのは人生の根本なのに
それを話し合う場がほとんどない。
それがあまりにも世界の(特に日本の)需要に見合ってないと思うわけです。

「重い話しには宗教を」という日本の現状

日本には主要な宗教がありません。
世界の中だとこれはほんとうに異色です。

たとえば外国に行くとまず最初に
「どの宗教を信じているの?」
ということを聞かれます。

宗教を信じていないと答えると驚かれるというか怪訝な目をされるので
とりあえず「仏教だよ」といっておくのが無難というのは有名な話しですが、

外国なら宗教という絶対的な教えがあるので
人生をいかに生きるかということについて
考える機会もあまりないのかもしれません。

でも日本にはそんな絶対的な教えがないんです。
べつに絶対的な教えがあるべきだと言いたいわけではありません。

ただそういう絶対的な教えがないからこそ
自分が感じている人生に対する虚しさを誰にも言うあてもなく
どんな風に人生を生きればいいのかということについて話し合える人もいず
そうやって身を切るような孤独の中で生きている人がたくさんいる。

それなのにそういう孤独を
「メンヘラ」
「重い」
「考えすぎ」
そういう言葉で切り捨ててしまう世間だけ大きくて 、

その孤独を解決しようとする団体は
「愛があれば救われる!」
だとか一方的に抽象的ななんのためにもならない解決策を述べたり
はたまたオウム真理教のようにその孤独につけこんで搾取しようとしたり
そんなのばっかという現状は嘆くべきものではないでしょうか?

僕はいつも言っているように
精神論では何も解決しないというスタンスです。

しかし周りに言えない悩みや
そもそも人生観に対する悩み
そういうものを解決するとまで行かずとも
そういう根本的な悩みを建設的に話し合う場がなければ
結局のところ人生を進めることは難しいというのが実際のところでしょう。

で最近、僕自身周りに言えないなやみを一人で抱えるのが限界に近づいてきたり、
人生観に関する記事やツイートが多くなったりする中、

それに応じるように
「kimamanさんに人生相談をしたい」
だとか
「自由力エリート養成ラウンジだけでなく
そういうコミュニティはないんですか?」
という声を以前よりたくさんいただくようになりました。

精神論ではなにも解決しないにしろ
僕がかかげている内面的自由力に関していえば
絶対に一人で音楽や言葉を使った感情コントロールをするよりも
悩みや人生相談を気軽に問いかけられる人がいたほうが明らかにメンタルの安定ははやいですし、

そうやって人と一緒に根本的な生き方を考える
そういう機会がもっとあれば自分のことを見つめる機会も増えて
僕がいう生き方という根本的なテーマから逃げないでそれを考える力=内観的自由力もどんどん向上していくだろうと思うわけです。

という理由で、
人生相談コミュニティというものを
近々新たに立ち上げることにしました。

さっきから言っている絶対的な生き方を提示するものではなく、
そういう根本的な人生に関する悩みを
双方的に話しあっていく場所としてのコミュニティです。

その内容についてはまた追い追いにしますが、
端的に言って
「周りぶちまけられないものを
お互いお互いのことを知らないがゆえに
さんざんにぶちまけ合える。
そしてそれに対してみんながぶっちゃけで意見を述べていく。」
そんなコミュニティにしたいと思っています。

その中で話していく議題もそれぞれの悩みによりますし、
立ち上げのメンバーで一緒に創っていく。
そんな色が強いコミュニティになると思います。

こういう企画をやるのは僕自身初めてです。
第1期のメンバーで
内面的自由力(感情コントロール)
内観的自由力(生き方に関する思索)
の両方を一石二鳥で高められるような
そんな最高のコミュニティにしていければいいと思っています。

ということで
メンヘラや重いという言葉の危うさと
今日は人生相談コミュニティを始めるという話しでした。
また次回。

PS.人生がつまらないときこそ聴きたいジャズ

自分は相当な音楽好きで、
ロックからクラシックからジャズまで幅広く聴くし
「これは」というものがあったときには無性に人に紹介したくなります。

でいきなり聴いていて感じる個人的なジャンルごとのイメージをいうと
ロック 感情的でエネルギッシュだが現状の否定にそれが根ざしている
クラシック 固定的だが美しさを志している
ジャズ 遊びにあふれていて今を楽しんでいる
という感じです。

で何が言いたいかというと、
人生がつまらないとき。
なんとなく日々同じことの繰り返しに嫌気がさしているとき、
そういうときはジャズを聴こう。ということですね。

自分自身そういうときは多々あるのですが、
昔はそんな調子が悪いときによくロックを聴いていました。
そうすると上にあるイメージのように感情的にもすごい力んで
「がんばらなきゃ!」
みたいになるわけですが、
でも頑張ったところで
その先で楽しくなければ
当たり前ですが人生ってつまらないわけですね。笑

しかも日頃何度も言っているように
結局そんな力んだ姿勢では人は遠くまでいけません。
がむしゃらは短期的な本気像であったとしても
長期的な本気像にはなり得ないです。

そんな悪循環に陥っていて
あるときから
「これはどうやら辛いときの乗り越え方として間違っているというかコスパが悪いぞ」
ということに気づき始めたわけです。

それから感情的ではないジャズやクラシックに足が向いたわけですが、
特にジャズですね。
これはアドリブが多分に含まれていて
それってもっと抽象的な言い方をすると
「非日常にあふれいてる」んですね。

だからこそ日常に嫌気がさしたときにおすすめだし
上のイメージの話しでもしましたが今を遊んでいるジャンルなので
頑張ろうという気にもなりませんがその先で
遊んでいるような感覚でどんなこともできる確率が上がる。

よく言われることですが
結局のところ人が異常だというくらいの努力をした人は
それが努力だとも思っていなかった。
そんなことが多いですし、
逆にいえばそのくらい気楽にやっていないと
圧倒的な時間を一つのことに捧げるなんてことは不可能です。

最近は初見のジャズアルバムを一枚通しで流しながら
非日常感を持って日常の仕事なり勉強なり作業をすることにはまってますが、
調子が悪いときにこそジャズをというのは
その圧倒的な効果を自分自身経験しているので自信を持って勧められますね。

で今日の一枚は
Bill Evans trioでWalzs For Debby。
伝説的なピアニストであり一枚ですが
僕が色々いうより聴いてもらうのが一番速いのでこのくらいにしときます。
https://listenonrepeat.com/?v=GNwCEppQ7H8#Bill_Evans_-_Waltz_for_Debby_(1961_Full_Album)

 

ではまた。bb

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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