【ネガティブを治す】ポジティブに考えることを妨げる壁とは?

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動画ポイント集

 

悲観的な性格と思い込みを塗り替えるときの壁とより簡単にそれを超える考え方を網羅して実現確率を飛躍的に高める

 

僕の「実現力」はまず自己像についても人生一般に関しても思い込みをより楽観的なものに変えるべく、端的にいえば楽観的な情報に触れる機会をより増やすという方針を方法論の肝の一つに据えています。

ここでは筆者が軽い鬱に陥り、いたって悲観的な思い込みを持ち、それを変えてきた経験も含めて、至って悲観的な信念や思想を思い込みとして持っている人にとってのそれを変えるにあたっての壁、というようなものについて語ります。その壁を明らかにしそれを超えることなく、悲観的な思い込みを変えられるということはありえないからです。

僕の「実現力」はそういう至って悲観的だった人すらも実現に向けて自分を変えていくことができる方法論を示しているつもりですが、その悲観的な考え方を変える壁を明らかにしないと、結局考え方や思い込みを変えられず「なんだやっぱり人生変えられないじゃないか、人は変われないじゃないか」ということになるかもしれません。

それは僕の「実現力」として望むところではないし人が変われないなんてことは嘘はったりなので、ここで悲観的な人が変わるにあたって僕の「実現力」が留意しておいた方がいいと考えることについて語っていきます

自分が悲観的な人間であることに自覚がなく、何かを実現したいだとか人生をもっと進化したいと思って僕の「実現力」を読まれている場合はこのパートはとばしてください。

 

変え難いほど悲観的な信念や思想がこびりついているとき、僕らは楽観的で希望溢れる情報に対して

「きれいごとだ」「ありふれている」「人の気持ちがわからないやつの軽々しい妄言だ」

などとかなりの抵抗を覚えることになります。

筆者も軽い鬱だった時代、「人はどこにでもいける」だったり「なんだってできる」というような希望ある情報に殺意すらおぼえたこともありました。

しかし、この類の抵抗というのはどこから生じているかといえばもちろん、現在自分が持っている信念から生じているわけです。僕らはその方が楽だからこそ現状に居続けることを基本的に望む生き物で現状を変えるような変化に抵抗を示します。そうである以上もしその抵抗にしたがって何も変えなければ現状を守り続けることになり、悲観的な信念を持つ人にとってはその悲観的な信念を維持することになります

この世に真実なんかありません。現代の量子力学が明らかにしつつあるようにあるのは解釈だけです。

だからこそ思い込みを変える技術を身につけることができれば僕らはどこにでもいけるわけですが、一つの真実なんてない以上、楽観的な情報に対する抵抗が、楽観的な情報が真実の厳しい世界から目を背けたきれいごとであり嘘だから生じているのではなく単に現状思い込んでいるものから離れているからこそ生じているということです。

また感受性が損なわれる、個性が損なわれるという理由でそういう楽観的な情報にばかり触れることをためらうということがありますが、ここで選ぶのは実現や幸福なのか、そういう自分の悲観的な現在の性質なのかということを今一度選ぶ必要があります。悲観的な思い込みを持ったまま楽観的な人生を生きることができるというのは稀です。そして触れる情報を変えることで変わる個性なんてものは個性とは言わないでしょう。むしろそれを変えても残り続けるものこそが個性でしょう。

楽観的なことばかり考えていて悲観的なところに感受性がないと人間味がない。

ということも触れる情報を楽観的なものばかりにすることへの抵抗としてあげられるかもしれませんが、そのようにして無理矢理に保つ感受性に一体何の意味があるのでしょうか

第一、触れる情報を楽観的なものだけにしたところで落ち込むことはもちろんあるでしょう。そのように悲観的な感受性を過大評価しその先で感傷中毒ともいえるようなものに陥ると実現はかなりおびやかされます。

感傷の多くは脳において失敗に分類されるという研究もあり、それは理想が頓挫した後へのリアリティを拡大するからです。人間味なんて曖昧です。むしろ人間味というものが意味するところを一つに決めて多様性を認めず「あの人は人間味がない」というところには暴力性しかなく、そんな一つに決めた人間味を大事にすることに人間味があるとは到底思えません。

またある種の人、創作に関わる人に多いですが、そういう人たちの一部は自分を創作のために周囲と一味違った性質である人間に仕立て上げるために、わざと悲観的な情報に対して敏感になるようなところがあるでしょう。

創作にかかわらずとも、悲観的なことに敏感になり、影を持つことで「一味違っているんだね」と言われたいという、自分の他との差別化への欲求が、自分の信念をより楽観的にするために楽観的な情報に触れるということを妨げるかもしれません。

悲観的=弱さがわかる=痛みがわかる=深い人間

という図式です。

より深く物事を考えているからこそ悩むのだという前提を持っている場合です。ですが、悩むのはものを思う人間であって、ものを考える人間ではありません。考えるというのは感情を切り離したもっと中立的なもので、そういう中立的な営為を多くすることが悩みという悲観的な感情につながるとはいいがたいでしょう。

もし、悲観的な信念を持っている自覚があって、しかし実現のためにそれを変えたいと思いながら楽観的な情報に触れ続けることをためらってしまう場合、どんな動機(インセンティブ)で楽観的な情報を避けようとするのか、そこを今一度明確にすることができます。

そしてそのインセンティブはほんとうに自分が欲しているものでしょうか。欲しくもないもののために自分の実現や幸せを犠牲にしてまで楽観的な情報を避けて悲観的な思い込みを維持していないでしょうか。何を信じても、信念がそれを実現するような行動を促し、それが実現していくというのが予言の自己成就です。何かを実現したいと思っていても、それが実現しないという信念があるなら実現することはできないしょう。

まずは、悲観的な自分の信念を書き換えることへの抵抗を客観視し、それが悲観的な自分を維持するためのものでしかないことを確認する必要があります。

悲観的であればあるほど、楽観的な情報に対する抵抗感は大きくなります。もちろん現状の自分とかけ離れたものだからです。

つまり、悲観的であればあるほどすこしでも自分を楽観的にするという変化を生むことが難しいということになります。そしてその抵抗を乗り越えて楽観的な情報により信念を少しずつ楽観的なものにしていったなら、それとともに楽観的な情報への抵抗も少なくなっていき、その先でまたそれをさらに楽観的なものにすることも容易になります。

つまり、

悲観的な信念は最初はそれを変えることが難しく徐々にそれを変えることが簡単になるといえ、指数関数的により楽観的なものになっていく

ということができます。であるからには、やはりもっとも悲観的なとき、もっとも楽観的な情報に触れることに抵抗があるときに、嫌々でも希望ある情報を選んだか、ということが勝負所といえるでしょう。それができたならばその後はどんどんそれを変えることが簡単になっていきます

誰でもなんらかによって落ち込み、自信を失うような機会があります。それは避けられないことであり、そういう出来事に対して打たれ強くなるというのは簡単なことではありません。確かになんらかの苦難を超えたり、なんらかを実現することによってセルフイメージが高まり、ちょっとやそっと失敗しただけでは特に何も思わなくなるという形でメンタルが強くなるということはあるでしょう。

昔の筆者のように軽い鬱状態であるなど、もっとも悲観的な状態においてはそういう形でメンタルが強くなることは望めません。なぜならその状態では困難を乗り越えたり何かを実現することができる可能性が限りなく低いからです。

そのような場合、落ち込んでしまったり自信を失ってしまうというのは前提として、そのあとに考えることを変えるということしかできません。そしてそのあとに考えることを心がけで変えるということが難しいなら、落ち込んだり自信を失ったときに次にどんな情報に触れるのかということを変えるしかありません。そのように落ち込んあとに触れる情報を変えていくならどんどん立ち直る技術が身についていきます。

落ち込んだとき僕らはそれに共感してくれるような情報に触れてさらにその情報によって自分の落ち込みを助長してそれに浸ることもできます。そして逆に自分を奮い立たせてくれるような情報に触れることもできます。どっちが絶対的に素晴らしいといことは決してないでしょうが、もしなんらかの実現を目指しているのならば落ち込みに浸り続けることは理想の頓挫後へのリアリティをさらに高めることになり、それは結果的に実現にとって悪影響になります。

どんな考え方が落ち込みや自信喪失に自分を浸らせることを許し、それを助長することで実現に悪影響を与えるという結果を生むのか。まず一つには

「人間が弱いことは仕方がないことで弱さを認めることこそが人間味のあることであり、それが人間である」

という風に自分の弱さに対して開き直ってしまうどころかむしろそれを大切にする考え方を持っている場合が挙げられるでしょう。僕の「実現力」はもし実現を本気で目指すならばこのような考え方を持ち続けることは障害になると考えるため、この考え方にもここで疑念を呈しておきます。

 

ジェームズアレンという偉大な思想家の名著、「原因と結果の法則」には

「心が邪悪な思いに満ちているとき、私たちに痛みがもたらされる。雄牛につきまとう荷車のように。純粋な思いを持ち続ければ喜びが後からきっとついてくる。自らに寄り添う影のように。」

という言葉が残されています。

一冊にわたってこの言葉のように「利己的な思いを持てばネガティブな感情が生じ、利他的な思いを持てばポジティブな感情を生じる」ということが書いてあるわけですが、これは仏教が言う所の執着から苦しみが生じるという思想と共通するものがあります。

「原因と結果の法則」が名著である所以は人の生き方としてマクロな視点から利己的に生きるものが衰退する、ということを言っているのではなく、一人の感情レベルの話として痛みや悲しみが生じるのは自分の利益のことを考えたからである。という厳しくも事実であるような思想を明らかにしているところにあるのでしょう。

確かに人が落ち込んだり、悲しんだりということは避けられません。一時的な状態としてそうなることは仕方のないことであり、それすらも「たいしたことがない」だとか「甘えだ」とかいうのはきっと慈愛のない考えでしょう。

しかし、その多くは自分が自分の利益を考えてるからこそ、いってしまえば自分勝手だから生じている痛みです。戦時中の親御さんはいくらお金がなく、食べ物がなく、厳しい生活を強いられてもずっと落ち込んでいるということはなかった、強かったということができます。そしてそれは子供を守らなければいけないという利他的な思いが根本にあったからではないでしょうか。

繰り返しますが一時的に何かに打ちのめされてしまってということは避けられません。しかし僕の「実現力」がここで言いたいのは、

その弱り切った状態に浸り続けることをよしとし、それを克服しようとしないことは、その弱さの根本にあると思われる自分の身勝手な思いもまた克服しなくていいと言うことになりかねない

ということです。

卑屈という感情があります。自分なんて、という自己否定の感情です。これも人間味のある感情として肯定してしまうと弱さに浸りきることを自分に許し、その先で理想の頓挫後へのリアリティを拡大し実現に悪影響を与えるでしょう。

一時的にこういう思いに苛まれることは誰にでもあることかもしれませんが、こういう卑屈な思いを常に持って生きることについて一つ役に立つ綺麗事として言えるのは、それは自分がそれまで生きることを助けてくれた人たちへの感謝を欠いた侮辱と捉えることもできるということです。

大いに助けてくれた親御さんや師は誰一人として、こいつは取るにたりない人間だと思ったから助けてくれたわけじゃありません。愛すべき素晴らしい一つの命だと思って助けてくれたのでしょう。

それなのに、その人たちが与えてくれたものを見ず「自分なんて」と卑屈の感情に浸りきりながら長期的に生きることをよしとすることは、助けてくれた人たちを否定するような感謝を欠いた行為だという見方もあります。

そして人はゆくゆくは自分が持っているものに着目し、それを活かすことで人になんらかの貢献をすることを仕事として生きていくわけですが、いつまでも自分のないものにばかり着目していると、自分にとって自分を活かしてすることができる自分だからできる貢献を見つけることができません。それは社会にとって損失です。そのような社会の損失につながる思いである卑屈も自分勝手な感情であるということができます。

弱さや卑屈について、それらは結局のところ自分勝手な感情だということを語ってきました。なんだこの筆者はサイコパスかという風に思われたかもしれません。そうなのかそうでないかは別として、僕の「実現力」は一時的にそのような感情に苛まれることは仕方のないこととしています。

しかし、弱くあり続けること、卑屈であり続けることをよしとしているとそれに浸ることで理想の頓挫後へのリアリティを増すことにつながり、それが実現の可能性を著しく下げているならば、そういう感情が自分勝手だという見方を持つことで自分がそういう感情に浸ることを防げるという筆者の経験論を語っています。

もし筆者がこんなことを考えずとも強くあれて前向きに生きることのできる人間だったならそもそもこんな本も書いていません。もちろん筆者自身未熟で弱い人間です。きっと著しく弱い自分のままでも生きてはいけたでしょうが、実現したい人生を実現することはまずできなかったでしょう。

だから筆者は長期的に弱い自分であることをよしとせずあれこれとそれを克服する方法論について考えてきました。弱さを克服しないことをよしとする思想がその人間の幸せにつながるとは筆者は思いません。

たとえば大切な人が打ちのめされているとしてきっとそのときはむやみやたらに励まそうとはしないでしょう。

しかし何ヶ月も、何年も、そんな感じで打ちのめされたままの自分を脱却しようともせず卑屈に生きていてそれがその大切な人の幸せを阻んでいることを知っていながら「それでいいんじゃないかな」などそのまま肯定するのは、愛ではないどころかそれと反対と言われる無関心よりひどい大切な人の人生の破壊です。僕の「実現力」はそういう立場をとります。

また長期的に自己否定に溢れた自信がない自分を肯定する理由の一つとして、逆に

「自信がある」という人と、自分の未熟なところを見ようとしない浅ましさや、現実を見て自分を否定されたことがないという井の中の蛙感や、ナルシズムという恥ずべき性質を結びつけているがゆえに自信がある人間になりたくない

ということがあるかもしれません。そして、

・自信がある=自分を肯定してしまっている=向上心がない

という風に思ってしまって、成長したい自分には自信のなさが必要だという風に思っているのかもしれません。自信があるということに対して軽々しさを感じているのかもしれません。

しかし自信と成長というのは両立するものであり、むしろそれが両立していないと長期的には続かないものではないでしょうか。

自信がなく、「こんな自分じゃダメだから」という風に成長するときにも常に自己否定があるとしたらそれは相当に重苦しい歩みです。

自信があって「こんな自分でもいいけれど、さらによりよくしたい」というスタンスで進む方がよほど成長がはかどるのではないでしょうか。むしろなにかと「そんなんじゃだめだ」と否定され、簡単に自信を失ってしまいがちなこの社会においてはナルシストであるくらいでちょうどいいのではないでしょうか。

 

実現にとって障害となるものであり、筆者が無限大であると信じてやまないあなたの可能性を最大限活かすために不必要であるために、「悲観的だったり、卑屈だったり、自信がなかったり、」という自分が長期的的に続いていくことを防ぐ考え方について筆者の経験も含めて語ってきました。

筆者は自分よりよほど素晴らしい才能や可能性が自信のなさや卑屈によって一向に発揮されることがないというのをたくさん見てきました。つまり

「あなたが思っているよりあなたは数段素晴らしいからもっと自信を持ってよ」

と言いたいわけなのですが、もちろんそんなことを口でいったところで人に自信を持ってもらうことはできませんし、「自信を持とう」「悲観的になるのはやめよう」とその場で思ったとしてそれができるわけではないのは、筆者自信軽い鬱で自信を全て失っていた時分の経験によってわかっているつもりです。

楽観的な情報に触れ続けその情報によって楽観的な方向に自分の考え方を寄せることによってしかそれは変わりません。そういう楽観的な情報に触れ続けて自分を変えることへの抵抗の根幹にある「悲観的な自分を守る考え方」に対して呈しうる疑問をここでは語ってきました。そしてそのような悲観的な自分を変えるために希望に溢れた情報に触れる続けることを始めるならば、実現にとって障害となる悲観的な態度がどんどん改善されていくことは疑いの余地がありません。僕らはそのようにしてどんどん進化していくことができます。

 

 

まとめ

 

今回の記事では、

【ネガティブを治す】ポジティブに考えることを妨げる壁とは?

というテーマでお話ししました。

 

・「楽観的なことばかり考えていて悲観的なところに感受性がないと人間味がない。」という考え方に対し、人間味なんて曖昧であり、むしろ人間味というものが意味するところを一つに決めて多様性を認めず「あの人は人間味がない」というところには暴力性しかないという話をしました。

また、

・弱くあり続けること、卑屈であり続けることをよしとしているとそれに浸ることで理想の頓挫後へのリアリティを増すことにつながり、それが実現の可能性を著しく下げているならば、そういう感情が自分勝手だという見方を持つことで自分がそういう感情に浸ることを防げるという方法についてお伝えしました。

今回語ったような、「悲観的な自分を守る考え方」に対して、反論を持ち、楽観的な情報に触れることを避けないならば実現にとって障害となる悲観的な態度がどんどん改善されていくことは疑いの余地がありません。僕らはそのようにしてどんどん進化していくことができます。

 

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