尾崎豊の自由のイメージってどうなのという話

お疲れ様です。今日は尾崎豊の自由のイメージは不自由という盲点の話です。

内観的自由力についての講座の5回目ですね。
前回までの講座はブログに載せてあるので読んでない方はブログからどうぞ。
内観的自由力についての講座をやる背景という記事から上四つですね。
http://kimaman.info/category/カテゴリー/内観的自由力(自分の素質、経験を知る技術)/

で前回は
「とりあえず何か頑張ろうという態度は人生を潰す」
という話をしました。

大事なことだと思うので何度かこれまでのメルマガでも繰り返し言っていますが、
死ぬ前に後悔すること第1位は圧倒的に
「もっと自分らしく生きればよかった」
ということらしいです。

http://tabi-labo.com/156441/realize-before-die/

でこの自分らしく生きたかどうかというのは
「自分だからできることをやったかどうか」
ということだと思うんですね。

自分だからできる度合いが高い
→希少価値が高い
→付加価値が高い
→貢献効率が高い
→馬車馬のように働く必要がない(自由)だし
他の人でもできる度合いが低いのでやりがい(生きがい)もあり捗る
→自分だからできる度合いがさらに高まる

というサイクルを加速させていくことこそ進化
ということを常に言っているわけですが、
その出発点として
「自分が一番希少価値を発揮できるところはどこなのか」
ということを突き止めることから
自分自身の人生は始まる。

それなのに
「とりあえずなんでもいいから頑張ってみよう」
という言葉は
一人一人が自分を知るという過程をおざなりにしている。

その過程をおざなりにしては
自分がほんとうに希少価値を発揮できるところを見つけることができず
自分の才能を発揮することができず
とりあえず頑張るという感じで苦しい努力になったりする。

だから努力することなんかより、
ほんとうにその分野が努力するに値するのかということを考えることの方がよほど大事。
そういう話でした。

で今日は
実際に自由になったり自由について考えたりする中で
世間の自由像と実際のところの自由、
そして世間が思う自由の条件と実際のところの条件
それらにあまりにも乖離があるなという風に思ったし

自由力を掲げて自由になることを一つの通過点として発信している身としては
この話は一度しておかなきゃなと思うので今日はその話をします。

1、自由は勝手なものじゃない
2、希少価値の向上なしに自由はありえない
3、希少価値をあげるのが楽なところ(楽しく成長できるところ)に労力を投資しよう
4、自由は後からついてくる、というほうが人生は楽しい

という順で行きたいと思います。

1、自由は勝手なものじゃない

自由というのは大体
規範からの逸脱とか、ルールからの暴走とか
そういうものとして語られますね。

たとえば尾崎豊の15の夜のサビ
「盗んだバイクで走りだす
行先も解らぬまま 暗い夜の張りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜」
という詞があります。

でもここで僕が思うのは
この15歳の少年は自由になれたわけじゃない
自由になった気がしていただけだということです。
まあわざわざ僕が言わずともそう歌詞も言ってますが。笑

15の少年といえば
結局のところ親に養われている状態です。
そこで何かルールから逸脱していても
それは自由になったふりをしているだけで
結局のところ他人からの干渉を避けることはできません。

じゃあどうすれば自由になれるか?

究極的にいえば僕らは自由になれないのだと思います。
なぜなら食べているものも身につけているものも
人が作ったものだからです。
人のおかげで生きているのだから
なんらかの干渉を受けてしかるべき存在です。

屁理屈ではなくて、
僕が言いたいのは
「人間は生きているだけで
常に生きるのに必要なものを対価として受け取れるくらいの
最低限の貢献をすることを義務付けられている」
ということですね。

勝手にルールから逸脱したり
何か反社会的なことをしていても
自由になった気分を得られても
実際に自由になることはできません。

どうすれば自由になれるのかといえば
人に義務付けられている最低限度の貢献を
自分で誰にも強制されずにできるようになることです。
それができて初めて
人から干渉を受ける必要のない状況が生まれます。

そういうわけで僕は無料メールコミュニティで最初の一連の講座として
経済的自由力といういかに一人で食っていくかという話をしています。

まず大前提として自由は勝手な自分の欲求を制限して
人のために勝手に働ける人間だけが得られる。
これは断言したいと思います。

2、希少価値の向上なしに自由はありえない

じゃあ誰でも働けば自由になれるのかといえば
現実問題そうではありません。

実際の数字の話をすれば
人が一ヶ月生きていくのにまあ大体二十万円かかるとして
一日に6,000から7,000の収入がないと
食べてはいけません。

そしてそれを一般的な8時間労働ではなくて
たとえば三時間で済ませる、とすると

時給が大体2000円から2500円
そのくらい貢献効率が高くないと無理です。

そんな時給はロボットでもできる単純労働や
他の多くの人でもできる仕事の希少価値では出せないでしょう。

こうやって数字から考えてみると当たり前に
希少価値を向上させないと
別の言い方をすると自分だからできる度合いを向上させないと
自由にはなれないということになります。

でもこれははっきりいって大した希少価値ではありません。
たとえば東大生の平均的な家庭教師の時給は2000円から3,000円です。
いっぱしの大学生でも到達できる希少価値なのですから
何か一つのスキルを磨いていけば全然たどり着ける希少価値でしょう。

3、希少価値をあげるのが楽なところにこそ労力を投資する

やりたいことをやればいい
得意なことをやればいい
好きなことをやればいい

そのいずれの人生論も曖昧すぎて
僕自身は全くもって信用することができませんでした。

で今
「一言でお前の人生論を言え」
と言われたら
ぼくはこう答えます。

「楽に成長できるところ
楽しく自分の希少価値を上げられるところ
そういうところに楽をせずに労力を投下しよう」
ということですね。

やりたいことをやろうというと
やれ酒だの睡眠だの
怠惰な方向に走りがちですし
得意なことをやろうということになると
それがそもそも楽しいかどうかが忘れられがちです。
好きなことと一言にいっても曖昧でわかりません。

それと
どんなにそれをやるのが楽しいとしても
それで進化するのが楽しくなければ
何か成長要素がなければ
人生はつまらないでしょう。

毎日成長することができるのか
それは間違いなく人生におけるモチベーションにつながってきます。

非日常を楽しみにする生き方ならば
飲み会や休暇における旅行や遊びを楽しみに日常を我慢する生き方ならば
別に成長する必要なんてないかもしれません。

でもぼくはそんな人生はごめんだったんです。
日常において何か成長分野、
進化分野を持つことで
一日のほとんどを我慢しなくても済むような人生にしたかった。

いくら食っていくのに必要な勤務時間が少なくても
それをつまらないのに我慢してやっているならば
その状況は束縛を受けているわけですから
完全に自由とは言えません。

毎日毎日非日常的な何かをして
それで人に貢献する
そういうことができれば別に成長なんてせずとも
仕事を必要悪としてとらえずに楽しめるのかもしれません。

でもその中で何か成長要素がなければ
一日一日がその一日として消費されてしまいます。
成長のない人生の一日一日は繋がることがありません。
一生を作品として残すなら
一日一日が繋がるような生き方をしなきゃいけないし
作品として悔いがないということが
そのまま死ぬ前に後悔することがないということになるのでしょう。

4、自由はあとからついてくる、というほうが楽しい人生になる

希少価値の進化なしに
自分だからできる度合いの進化なしに
自由なんてありはしないことを語ってきたわけですが、

まれにたとえば
宝くじに当たったり
投資で一生分のお金が手に入ってしまったり
そういう自分の希少価値とは別のところで
いきなり自由が手に入ってしまうこともあると思います。

でもそのときこそ
自由が実際それだけでは特に素晴らしくないということが
はっきりすると思うんですね。

たとえば知り合いに
ゴールドマンサックスで十年ほど働いて
その後でお金をたんまり稼いだのでアーリーリタイアして
自由になったという人がいます。

でもその人が自由になった後で幸せになったかというとそうではありませんでした。
むしろ幸せになるどころかうつ病になってしまった。

まあそれは成長要素がなかったからというより
それまで深夜何時まで働いていたのに突然暇になってしまって
一人の時間を持て余したというのが大きいんでしょうけど

つまり自由でもやることがなければ
人生はほんとうにつまらない。あたりまえの話です。
でもこの当たり前のことって頭でわかっていても、
実際自由になってみないと実感を持ってわからないという類の話でもあるでしょう。

で実際に自由になってみてそういうつまらなさを嫌というほど思い知った僕は
やっぱり人生がつまらなくならないような自由の目指し方、
それを発信しなきゃいけないと思うんです。
ただ自由になろうということだけではなくてですね。

この文章で語ってきたように
本来得られる自由というのは
自分が希少価値を高める成長分野を持っていて
その結果として貢献効率が大きくなり
馬車馬のように働かなくてよくなったと。
そういう流れを踏んでいかなければ
自由になっても成長させるものがありませんから、
結局やることがなくて人生つまらないということになりがちです。

つまり自由が先にあるのではなくて
自分が希少価値をどこで進化させるのか
という部分が先にあると。
そういう自由の目指し方をすれば
結局自由になるにもはやいし、
自由になったあとやることがなくてつまらないということにもならずに済みます。

ということで、今日のメルマガで一番何が言いたかったかというと
自由というのは身勝手なものじゃない。と。
むしろ他人に強制されずとも人の役に立てるし
その役に立つ分野がその人の自分だからできる度合いの高い分野であるがゆえに
貢献効率がよくなったという
希少価値の進化の先にあるのが自由のほんとうの姿であるという話をしました。

自由についてなんらかの気づきを与えられていれば幸いです。
それではまた。

 

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

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