洗脳や宗教に閉じ込められやすい人の特徴から実現力の鬼進化する

[音声動画]

記事まとめ音声です。この記事見ながら聴くと実現力進化が捗ります。

 

https://m.youtube.com/watch?v=x5dBFOGHSEU

 

 

一人の思想や業界の思想に閉じ込められている危険性を網羅して実現確率を飛躍的に上げる

 

人の人生がなんらかの思想によって動かされていることは間違いありません。

なぜなら行動は頭でまず行動しようと思わずしてすることができないからです。もしかしたら「なぜその行動をするのか」ということを一切考えずに行動しているという人がいるかもしれませんし、もしかしたら実際のところ昔から今までそういう人が大半かもしれませんが、そのような態度は実現したいものを実現するのに向かないのは間違いないので、とりあえずどっちにしろ思想は人生をそのまま決めてしまうほど大切なものだという前提に立ちます。

思想や考え方がそれほど人生にとって致命的なものであるならば、

・自分が持っている思想や考え方に注意深くなり、

・世の中にどんな思想があり、

・自分を含めてそれを持った人がその反映としてどんな人生を生きているのか観察し、

・自分の思想や考え方をどう変えれば自分の理想の人生に近づくのかということのヒントにし、

・実際に持ちたい思想が確定したなら触れる情報をコントロールすることでそれを持つように努力する。

というくらいのことが実現したい人生を実現するには必要なはずです。

 

実際に筆者はそのように自分がどんな思想を、どのような情報に触れる頻度が高いからこそ自分が持っていて、それがどんな結果を生んでいてどのようにそれを変えれば実現したい人生に近づくかということについて敏感になってきましたが、

周りを見ていると実現したい人生を実現したいと思いながらもそのような自分がどんな思想を持っているかということに全く注意していない人の方が圧倒的に多く、そのことが危険であるように思えてなりません。

中でも特に僕らが気をつけなければならないのは

一人の情報によって一人の思想に閉じ込められ、その結果として自分が持っている思想について考えることもできないくらい一人の思想を盲信し、その思想が不幸な自分を生んでいる」

という事態でしょう。

そして多くの場合、一人の思想に閉じ込められている場合はその事態に気づきません

一人の人間の思想だけではなく一つの業界やコミュニティが共有している暗黙の思想に閉じ込められるというケースもあります。

実際にその二つのケースで、享受しなくてもいい不幸を享受していて、がしかし当人はある一つの思想に閉じ込められいているとは思わず、むしろその思想が自分を幸福にしていると信じきっているという人を筆者は見てきましたし、その場合その人が信じきっている思想を真っ向から否定することもできずどうすればいいかわからないという歯がゆい思いをしたこともありました。

もちろん、筆者がある思想が人を不幸にしていると思ったという主観にすぎません。

 

 

 

一人の思想に閉じ込められているというケースについては、自分を貶めるような音楽を多くつくる人間の音楽を繰り返し聴いているせいで自己評価が非常に低下し、その先でその人に備わっている素晴らしい才能を活かすことをせず、

「自分なんて」

という自己嫌悪に繰り返し苛まれるという形の、“享受しなくてもいい不幸を享受している人”が筆者が見ていてもっともはがゆかったケースです。

そのケースにおいて当人はそのような低い自己評価を刷り込むような情報を

「自分の弱さに共感して自分を救ってくれている情報」

として捉えています。筆者も軽いうつ病だった時分まさにそうだったのです。

しかし、一人の人間の音楽を繰り返し聴くということの危険性を認識し意図的に様々な人間の希望ある情報に触れるようになった今ではもちろん、そのように一人の人間の自分を貶めるような音楽ばかり聴いて一人の思想に閉じこもり続けた過去、自分は享受しなくていい不幸を享受していたという確信があります。

もちろん、自分にとってそうだったという話にすぎず、他人にとってどうなのかは最終的にはわかりません。しかし一人の人間の音楽や音ばかりに触れ続けることが一つの思想の中に閉じ込めている可能性を警戒するくらいはしていいはずです。

 

実際にその人間が卑屈な思想に閉じ込められいているせいで素晴らしい才能が十分に活かされることなく眠っていて、それが眠っているがゆえに当人も才能の代わりに失っている自分の欠点ばかり見えてしまい、自分がいる意義について見出せず、自己評価がさらに下がり不安定になっているとしか思えないケースを目の当たりにし、「何か言わなくはいけない」とお節介な気持ちにさせられたことが何度かあります。

好意から一人の人間の情報ばかりに触れている以上、それが実はあなたの幸福を阻害しているのではなかろうかという意見をいうことは非常に困難ですが、ここで改めて

「一人の人間の情報にばかり閉じこもるのは危なくないだろうか。」

「あなたが救われていると思っている人は、ほんとうはあなたの人生を低い自己評価で多くを受け入れるしかないとするような奴隷的な方向に進めていないだろうか」

と言う疑問を投げかけておきます。

また一つの業界が一つの思想を植え付けているというケースもあります。

たとえば、ある種の芸術の一分野では「重苦しい作品こそが名作だ」という一つの暗黙の思想が漂っていて、前向きなことを言えば軽々しいと一種軽蔑されるという風潮があります。

重苦しい作品こそが業界としても好まれ、重し苦しい作品が評価されるので、

評価をされたい芸術家や文学者は重苦しい作品を重苦しい気分の中で生み出し、また生み出された作品が誰かを重苦しい気分にする

という循環が業界の中で起こっているという風に見えることがあります。

この業界に漂う「重苦しさこそが深みであり真実であり素晴らしいことだ」という思想が、業界にいる人間を重苦しさの中に閉じ込めているというケースが見受けられるのです。そのような場合も人間がある特定の思想に閉じ込められてその先で享受しなくていい不幸を享受しているケースということができます。自分がいる業界が自分をある種の思想に閉じ込めている可能性についても警戒することができます。

宗教も元をたどれば一人の思想にすぎません。どんな思想もすでにある思想のつぎはぎである以上先人の思想を拠り所することには問題がないかもしれませんが、それを真実だと信じて疑わないことには一つの思想に閉じ込められる危険があります。多くの人々が危険な思想に閉じ込められたがばかりに悲惨な目にあってきました。

 

とにかくにも思想や考え方こそがあらゆる行動の元となり人の人生を決定づけているというのにそれについて払う注意が多くの場合不足しすぎていると感じます。

・自分が持っている思想や考え方に注意深くなり、

・世の中にどんな思想があり、

・自分を含めてそれを持った人がその反映としてどんな人生を生きているのか観察し、

・自分の思想や考え方をどう変えれば自分の理想の人生に近づくのかということのヒントにし、

・実際に持ちたい思想が確定したなら触れる情報をコントロールすることでそれを持つように努力する。

そのようにして人生は根本から長期的に変えていけるわけですが、そのはじめが「自分はなんらかの思想に閉じ込められていないか」という危機感です。

支配されていてそこから抜け出したいときにもっとも重要なのはもちろん支配されていると自覚することです。なんらに影響や支配を受けていないとすることこそがもっとも不自由な態度です。もちろん僕の「実現力」も一つの思想を元に書かれたものであり、絶対的な正解を述べたものではありません。閉じ込められないか警戒してもらえれば幸いです。自分はなんらかの思想に閉じ込められていないだろうかと考えることで実現確率を飛躍的に上げることができます。

短期的には共感で気休めを与えて長期的に奴隷化する情報を逃れて人生を飛躍的に自由にする

 

筆者が「実現力」を書いたのは一人の実現を支えるためだけではありません。その先で「押し付けられることに対してNoといい、主体的に自分の人生をつくれる、あるいはつくれると考えている」そういう意味での自由をより多くの人が持っているような社会をつくるためです。

そして実現の確率を高めるためにも、そういう意味での自由をつくるためにも、本書はこの長期実現力=セルフイメージ力、自分にいかに自信をもっているかということがなによりも大事なものとしています。実現にセルフイメージが必要であることはすでに何度も説明してきましたが自由にとってなぜセルフイメージが必要不可欠なのかという話はあまりしていないので簡単にもう一度その話をします。

たとえば上司からセクハラを受けている女性がいるとします。セルフイメージが高く、「自分がどうにでもできる」と考えている人間は「ふざけんな」といってその上司にたてつくか「こんなとこやってられるか」といって会社を辞めることができます。

しかし、セルフイメージが低く「自分ができることなんてほとんどないし、ここ以外どこが自分を受け入れてくれるの」と思っている女性はそのセクハラに声をあげることができず、辞めることもできず、甘んじて受け入れ続けるかもしれません。

セルフイメージが高いとは自分が主体的に人生をつくる能力に対して自信がある

ということです。結果として多少厳しいとしても主体的に生きる道を選ぶでしょう。

セルフイメージが低いとは逆に自分の主体性に対して自信がないということです。結果として嫌々でも受動的に生きることになるでしょう。おしつけられたことを受け入れることになるでしょう。そういう意味でセルフイメージが高いか低いかによって人生を自由に生きることが左右されます。

そもそも日本の謙虚さ信仰こそが自信がなくて当たり前=多少受動的でも当たり前という考え方をひろめそれが日本の不自由さにつながっているという気がしてなりませんがそれは置いておいて、筆者もこんな人間の気持ちがわからないサイコパスだと批判されそうなことを語りたくはありませんが、

「人間がやるに値するのは笑われてでもやることだ」

という考え方をするのでやはり語ります。

「弱さや悩みに短期的に共感するだけで終わり、長期的にはその人間を奴隷化する」そういう類の情報についてここで「人生を自分でつくる、より自由度の高い納得のいくものにする」ということを考えたときに語っておきたいことを語ります。

 

辛い時にその辛さに対して共感してくれるような情報があります。たとえば最近流行った曲に

「まだこの世界は僕を飼いならしていたいみたいだ お望みどおりいいだろ 美しくもがくよ」

というものがありました。この曲は捉えようによってはうまくいかない不自由さに共感してくれていると捉えることができます。

この社会では感動や共感ばかりもてはやされる傾向にあるかもしれませんが、感動や共感というのは一種危険なものでもあります。

それらは感情を想起させることによって特定の考え方を定着させるものと捉えることができます。記憶が感情を伴う方が定着するというのは脳科学において常識とされていますが、もちろん考え方においても同じです。であるからには感動や共感は自分が実現したい人生を実現したり、自分が望んだ幸福をつかんだりするために望ましくない考え方を自分に定着させる可能性があると警戒して然りでしょう。

そして、中でも共感は非常に危険です。人は自分が陥っている状態と同種の情報に触れることを好みます。

失恋したなら失恋ソングを聴きたくなるのはもちろん「自分が陥っている状態」と「情報の状態」が同じだからです。

それの何が危険かといえば、その傾向を特に律することもせずに自分が陥っている状態と同じ状態の情報に、自分に共感してもらうということを繰り返していると、自分が陥っている状態のときにしていた考え方を、もしそれが自分が望む人生を実現するのにいらないどころか致命的に邪魔になるものでも、それを強化してしまうという点にあります。僕の【実現力」は人やコミュニティ含め自分が触れる情報こそが自分の考え方をつくっていくという前提に立っています。共感依存症は自分の人生を台無しにしかねないと語らざるを得ません。

たとえば、何かうまくいかないことやどうにもならない(と思い込んでいる)ことがあったときに、それへの共感を無意識に欲して先ほどの「まだこの世界は僕を飼いならしてたいみたいだ お望みどおりいいだろ美しくもがくよ」という情報に触れているとき、僕らは「自分は飼いならされてるけどまあいい」という考え方を強化しています。

弱さに共感してくれる情報というのは確かに救いになります。短期的にはもちろん落ち着きます。

 

しかし、弱さに共感してくれる情報の中でも

「でも人生は自分でどうにでもできる」という考え方がその人間がそれを持っているがゆえに吹き込まれたものと

「自分はどうしようもない どうにもできない」という考え方が吹き込まれたもの

があります。

後者のような考え方を吹き込まれたものに頻繁に触れているとどうなるか。もちろんセルフイメージは下がります。そのようにセルフイメージを下げながら自由な人生をつくることは難しいです。

自分は飼いならされて当然と思っている人間が自由のために戦えるかといえばそれは難しいでしょう。自由であるはずだと思っているから自由のために戦えるのです。であるからには、短期的に自分に気休めを与えてくれれて貢献してくれる情報にも長期的には奴隷化してくるようなものがあるという見方ができます。

筆者がこんなサイコパスじみた話をするのは筆者が過去共感と共感を求める自分の心境の怖さを思い知ったからです。

それらを制さなかったばかりに人生を荒廃させていた時期があったからです。すでに語った15歳当時の非常に辛かった時期、筆者はそういう弱さと辛さに共感してくれるような曲ばかり聴いていました。先ほど言ったように自分と同じ状態にある情報を求めるのが何も考えていない、感じるがままに行動してるときの人間の傾向です。そしてその当時はそういう情報が自分を救ってくれていると思っていました。短期的にはおそらく慰めてくれていたことでしょう。

しかし、そういう共感を求める心を制して、「自分を自由にしてくれると考える情報だけ」に触れるようになり、実際に人生の自由度が上がってからはその頃「自分を救っていくれていると思っていた情報」は自分を多かれ少なかれ奴隷化するものだった、長期的には自分が実現したいと考えている自分の人生をつくることを助けてくれるものではなかった、と思うのです。

もちろんこれはあくまで筆者の話であってあなたにとってそれがどうなのかはわかりません。ただ筆者がそういう「自分になんてなにもできやしない」という奴隷的な考え方をしなくなり逆に「人生は自分でどこまでもつくるもんだ」という自由な考え方でいきられるようになったのは「飼い慣らされている」「弱くていい」という考え方をする人間の情報を一切断って

逆に「自分こそが変えてやる」だったり「不足ない」という考え方をする人間の情報にのみ触れるようになってからであることは間違いありません。そして二度と共感が欲しいと感じるがままにそれがほんとうに長期的にじぶんの人生をよくする情報なのかということを考えずに情報に触れ、その先でセルフイメージを下げていた時代には戻りたくありません

 

考え方を一つの作品に閉じ込める人間は「この考え方がほんとうに長期的に人を幸せにするのか」ということを考える責務があります。

というより込めようと思わずとも全ての作品には作者の思想や信条や生活スタイルが反映されてしまうものである以上、何かを仕事としてつくる人間はそもそも作品のクオリティよりもクオリティを高めることで色濃くしようとしている「込めたもの」はほんとに一人の人生や世界を明るい方向に導くものなのかそこを自問すべきではないでしょうか。

筆者は現代の作品への評価が作品のクオリティばかり重んじてそもそもそこに込められた思想なり動機なりが軽んじられているように思えてなりません。

「思想に正解はない。常に多様性を認めるべきだ。」

それならばたとえば人と人とは殺し合ってなんぼ、明るい未来を信じようとする人間に人生は結局暗いもので、頑張っても無駄だと陥れてなんぼという思想がこの世の中に必要だというのでしょうか。筆者はそうは思いません。

そういう明らかに世界を明るいものより暗いものに導くような思想が「多様性」の名の下に創作という分野において野放しにされている。これはほんとうに黙って見過ごしていいことなのでしょうか。

音楽はなおさらそもそも込めるものの是非について考えるべきです。なぜなら歌詞として閉じ込める考え方のいかんにかかわらずサウンドがよければ人に受け入れられてしまう。そしてその先で人を大きく影響してしうるからです。そういうことを考えずして自分が込めたい考え方だけ込めて、あるいは共感だけしとけばいいや、感動だけさせればいいやという風に考えて「何に共感させ何に感動させるのか」ということを考えないという態度は

「自分が受け入れられれば、その後受け入れてくれた人の人生がどうなろうと知ったことじゃない」

と言っているのと同じです。自分が認められれば人の人生を荒廃させてもいいと言っているのと同じです。そしてそのようなスタンスで作品をつくっているとしか思えない人を見るたびに筆者は腹が立ちますし、筆者はそのような人間ではありたくないと切に願います。

 

好きだから触れる。触れたいから触れる。それももっともですが、そのような一時的な衝動を感じるがままに行動をしているがために長期的にあなたの人生をあなたが望まない方向に動かしていないかということを考えて欲しいということです。

あなたを救っているとあなたが思っている情報が実はあなたを荒廃させていないか考えることができます。

・僕らは自分で切り開ける、その強さを持てると信じられる人生がいいのか、

・飼いならされて当然、弱くていいしその先で押し付けられたものを仕方なくこなす人生がいいのか、

選んだだけでは何も変わらないもののまず選ぶことができます。そしてその先で触れる情報を動かすことで自分の考え方とセルフイメージを長期的に変えることができます。

サイコパスと言われるのを覚悟で断言しますが、弱くても生きられるのはあらゆることに妥協したベストから程遠い人生だけです。死ぬ前に「もっといい人生がつくれたのではないだろうか」と後悔するような人生だけです。

僕らは強くなって、自分が実現したい人生を実現することができます。筆者も弱い人間です。しかし弱くていいという考え方で生きてそれゆえにベストから程遠い人生を生きるのはごめんです。そしてもしあなたが自分を卑下したり否定したり、できやしない、受け入れるしかない、と考える日々に内心うんざりしているなら触れる情報を変えることで長期的にはその日々を変えられます

もっと僕らを自由にすることができます。

そしてあなたが「自分には何か素晴らしいことをできるくらいの強さがある」という風に考えて実際にあなたの無限の可能性が実現されて世界により大きな貢献がなされることを世界も待っているはずです。

そしてそれぞれが「自分は自分で人生をつくれる」という高いセルフイメージを持った先にこそそれぞれを尊重した上で自由な世界があると筆者は信じます。

短期的な共感で救ってくれていると思っている情報が長期的には自分を奴隷化していないかということを疑い、その先で感じるがままに情報に触れるのではなく自分の望む人生をつくるためにこの情報は必要なのかということを考えて触れることによって実現力のみならず人生を進化させることができます。

 

まとめ

 

今回の記事では、

洗脳や宗教に閉じ込められやすい人の特徴から実現力の鬼進化する

というテーマでお話ししました。

(1)「自分はなんらかの思想に閉じ込められていないか」という危機感を持ち、どのような書物も、所詮は一つの思想を元に書かれたものであり、絶対的な正解を述べたものではないということを意識する。

(2) 短期的な共感で救ってくれていると思っている情報が長期的には自分を奴隷化していないかということを疑い、その先で感じるがままに情報に触れるのではなく自分の望む人生をつくるためにこの情報は必要なのかということを考えて触れる。

の2点について触れました。

 

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