仕事が嫌になる根本的な理由

いつもありがとうございます。

今日はどんな仕事も4段階を経て進化していくという話し、

仕事を辞めて鬱になる人とそうでない人がいるというところから

仕事が嫌い、エネルギーが入らない根本的な理由はどこにあるのかということを考えます。

たまに
「現在の仕事に身が入らないんです。
だから自分のビジネスをやりたいと思っています。」
という趣旨の相談をもらいます。

でそういう相談に対して
「おーそうですか。だったら自分のビジネスを持てばいいですよ。」
という風に簡単に自分のビジネスを勧められるかというと

まあそういうわけには行かなくて、
どういうことかというと
仕事が楽しいか、やる気が出るのかの境目って
「それが自分でやっているビジネスなのか、否か。」
という部分じゃないと思うんですよね。

仕事に身が入らない理由とか、好きになれない根本的な基準って
もっと他にあると思うわけです。
でその根本的な基準を満たしていないと
結局のところ自分のビジネスを持っても
仕事を好きになることはできない。

確かに自分でビジネスをやっていた方が
その基準は充たせる可能性が高いかもしれません。
自分でやるビジネスの方が方向性ややることに対する裁量は間違いなく大きいですから。
ルソーは幸福について研究した先でもっとも大事なこととして
「自分で決めること」
というのをあげています。

もしルソーが言うようにそれが一番大事であったなら
自分でビジネスを持つことをオススメしますが、
そんな人生単純じゃないですよね。笑

今日は仕事のやる気がでない、好きになれないということの根本的な理由を
まず仕事ってなんのためにやるんだろう。
ということから考えてみます。

天職の見つけ方について記事を書いたりもしてるんで
とくにこの記事の後半とか
天職がわからなかったり仕事を変えたいと思っている人には参考になると思うので
読んでみてください。

1、仕事の四段階進化の話

まず仕事ってなんのためにやるんでしょうか。
もちろんこれは古くからあった質問で、
少し考えて絶対的にこれだわという風に言うことはできません。

まず一つ言えるのは
「食っていかなくちゃいけないから」
これは間違いないですね。

一部の例外を除いて
自分が仕事をしなくては生きていくことができない人が大半です。
もちろんそういう最低限度金銭を稼がなきゃいけない
というのは一つのモチベーションになるでしょう。

でもそれはあくまで一つのモチベーションなわけですよね。
もしその金銭的な話がモチベーションの全てだったら
食っていくための金銭をもらえるだけで満足で
仕事のやる気がでないなんてことにはならないはずです。

ここで仕事の四分類というのを紹介します。
ある理論では自分の仕事というのが
四段階で進化していくものと
そう言われいているんですね。

どんな四段階かというと
ライスワーク→自分が飯を食うためにやっている段階
ライクワーク→自分が好きだからやっている段階
ライフワーク→人生をかけてこだわりたいからやっている段階
ライトワーク→これが自分の天命という感じでつき動かされて働く段階
という段階があります。

でこの段階を上がっていけば上がっていくほど
仕事が楽しくなってくる。
というよりライフワークとライトワークの段階になると
仕事が人生だわ。
という感じになってくるんですねきっと。

まあとはいえ、
その段階になるのは普通に考えればめちゃくちゃ難しいし
そもそもこの四つの段階だけ提示されても
「じゃあどうやって仕事を進化していけばいいんだよ」
という素朴な疑問が解決されません。

確かにライトワークまでいけたらハッピーなのはわかるけれど
どうやってそこまでいけるのかわからない。

なので逆に次に
「仕事がなくなったら金銭以外で悩むことになるのか」
というところについて考えてみます。

2、仕事をやめて鬱になる人とそうでない人

仕事が金銭以外でどんな役割を果たしているのか。

よく定年後鬱になってしまう男性がいますね。
彼らは別にお金に困っているわけではないでしょう。
でもうつ病になってしまう、
ということは彼らの仕事が果たしていた役割が
金銭的な物以外もあったということですね。

よくこういう定年後鬱の原因として
「寂しい」だとか
「虚しい」だとか
そういう言葉が使われます。

この言葉だけではそれがなんなのかわかりかねるところはあります。
もうちょっとこの虚しさや寂しさを深く掘る必要があると思うんですね。

人間が虚しさを感じるときってどんなときでしょうか。
というか虚しさってどういう感情なんでしょうか。
それは別の言い方でいえば
「どうして自分や日々があるのか理由が見出せないという感覚」
なのではないでしょうか。

定年後に鬱になる理由は
その
「自分や日々が存在する理由を
仕事が終わるとともに失ってしまったから」
ということが言えるでしょう。

でこのまま
「仕事は自分の存在意義を確かめるためにある」
という言葉で終わらせても
当たり前の話で何も解決しないと思うので、

もう少し突っ込んで考えてみましょう。
どんな条件が満たされれば
人は自分の存在意義を受け取るのでしょうか。

それがそのまま仕事が好きになれない理由や
やる気がでない理由にもつながってくると思んですね。

でここで僕の二人の知り合いの話が
いい例になると思うのでちょっと紹介します。

仕事をやめた二人の知人というか知人と知らない人の間くらいの人の話です。

二人とも仕事をやめましたが
一人は家族を持っていましたが
一人は独身で、慈善活動団体に所属しました。
で結果独身だった人だけ鬱病になってしまいました。

つまり一方にとっては家族が
自分の存在意義を確認する場所として仕事の代わりになったけれど
一方にとっては慈善活動団体がそうはならなかった
ということだと思うんですけど、

ここで家族を持っていれば大丈夫!
ということを言いたいわけではなくて

慈善活動団体と
家族と
一体何が違ったのかなと。
そういうことを考えてみたいんです。

どっちだって人間関係ですよね?
確かに濃さは違いますが、
その濃さって一体なんの濃さなんでしょうか。
何が濃い関係といえて
何が薄い関係と言えるのでしょうか。

ということを考えたときに
自分の存在意義という言葉の中の
「意義」という単語の意味につきあたる。

そんな風に思うんです。

意味と意義、
似てますが違いますよね。

意味というのは単に
「それが示すところ」
ということ。
でも意義というのは
「それがそこにあったりそうであることの理由」
ということに近い。

つまり慈善活動団体が仕事の代わりに人の存在意義を満たせなかったけど
家族がそれができたのは

慈善活動団体にはその人がいる理由がなかったけれど
家族にはそれがあった。
そういうことだと思うんですね。

その人がいる理由。
別の言い方をすれば
他の人じゃいけない理由です。

慈善活動は言ってみれば
お金と貢献したいという思いがある人ならば誰でもできます。
でも家族は
血縁関係で結ばれている関係です。
他の人が血縁上の親になることもできなければ
他の人が血縁上の息子になることもできない。

他人が取って代わることができないこと。
まさに自分の存在「意義」
ですよね。

3、仕事が嫌いなのはつまり他の人でもできる度合いが高すぎるから

仕事が果たす
人の存在意義を確認する
という役割は
その人がしている仕事がどれだけ他人が取って代わられない度合いが高いか
という話をしてきました。

確かに厳密な意味で
「他の人にはできない」
「自分にしかできない」
という仕事を見つけることは
難しいことです。

でもあまりにも
「自分がこれをやる意義はあるか?」
という仕事だと
他の人やってくれよ
という思いに苛まれるのはあたり前だし
仕事が好きになれないのは当たり前ですよね。

仕事をしていればきっと
楽しいことも辛いこともあります。
楽しいだけの仕事なんてものは基本的にないでしょう。

だから仕事を好きになるということは
仕事が楽しいかということとは
また一つ違ったところにある話だと思うわけです。
仕事が楽しいかと聞かれれば
つらいときもあるというのが
どんな仕事に関しても正直なところでしょう。

じゃあ仕事が好きか
仕事に身が入るか
ということに関してどんなところがものをいってくるかといえば
それは
「人に取って代わられない度合いが高いか」
というところでしょう。

それを僕はいつも
自分だからできる度合いが高いか否か。
という言葉で表現しています。

誰でも自分固有の特徴がありますし、
自分固有の経験があります。
それを活かせているかどうか。

それを活かすことができていれば
仕事がある程度辛くても
「これこそ自分が周りに対してするべきことだから」
という理由で乗り切れたりしますし、
仕事が好きになれるというより
愛せるのではないでしょうか。

そしてその自分を活かせる度合いを上げていくことが
仕事の進化であり
ただ飯を食うためにやるライスワークから
使命感にかられて何かに突き動かされるようにやるライトワークへの道筋ではないでしょうか。

そういう自分だからできる度合いの高い生き方を見つけだす力が
まさに内観的自由力ということになります。

僕は理想は好きですがきれいごとを言うのは嫌いなのでちょっと厳しいことを言うと
仕事がつまらないなら
仕事を愛することができないなら
もっと自分だからできる度合いが高い貢献を探しましょう。b
それがないなら何か専門分野を身につけるなりして
自分だからできる貢献をつくっていきましょう。b

単にやみくもに転職したりするだけでは
きっととくに仕事に対する熱量は変わらないと思います。
残業時間や給料の差は
きっと仕事を愛せるかどうかとは関係ありません。
自分がやる意義があるかどうか。
これこそが自分の天職だという風に感じられるかどうか。
それが仕事を愛せるかどうかの境目ではないでしょうか。

ある世界的に著名な経営者は
「自分が愛せる仕事を探しなさい。そしてそれが見つかるまで決して安住してはならない」
ということを言っています。

まさにその通りだと思いますし
僕は誰にでもその人の天職があると信じています。
天職の見つけ方については以下の記事の後半でかなり語っています。
自分だからできる度合いが高い仕事にありつきたい。
今一度仕事について考え直したい。
そう思った人は読んでみてくださいね。

ではまたどこかで。b

「PC一台自分のビジネスを持って1日2〜3時間労働で一生食うに困らない力」
をあくまで「経済的自由力」という自由力の一つとして自由の側面に位置付け
それを含む五つの自由力
内観的自由力
→自分の向き不向き好き嫌い経験を知って自分だからできることを知って人生の方向性を決める技術
内面的自由力
→感情と思考をコントロールしてモチベーションを維持する技術
行動的自由力
→時間管理、行動自律、方法決定など目標に向けて行動を最適化する技術
情報的自由力
→必要な情報をインプットしセルフイメージをつくり、独自のアウトプットをして価値を生み出す力
経済的自由力
→ビジネスの知識としての一生食っていくのに困らない力
の五つを進化させて
自分だからできる度合いを向上させることで
自由なんかはあくまで通過点に置き死ぬ前に後悔しないような充実した人生を創ることを目指す。
そして最初からそこを目指すことが結局自由への近道でもある。
そんな理念で人生をより面白くする無料メルマガコミュニティ「School Of Free Life」を運営しています。
まず初めとしてPC一台で一生食うに困らない力=経済的自由力をつけるべく10万字(本一冊)程度の講座を共有中。
死ぬ前に後悔しない人生を創ることへのきっかけになれば幸いです。

School of Free Life

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です